小説「サークル○サークル」01-371~01-380「加速」まとめ読み

「彼女はあなたとの関係を絶とうとしているの。それは彼女からも話があったでしょう?」
「ああ、何度もあったよ」
「だったら、いい加減、応じたら?」
「……君も強情だね」
「それはあなたもよ」
ヒサシとアスカはしばし黙る。話し合いは平行線だ。
「ねぇ、こういうのはどうかしら?」
「なんだい?」
「あなたが沢山の女性と浮気をしている、ということをあなたの奥さんにはバラさない。その代わり、彼女を解放してあげてほしいの。彼女を解放してくれないなら、奥さんに全てをバラすわ」
「……脅しってわけか」
「別に脅してるわけじゃないわよ。取引をしているの」
アスカはにっこりと微笑んだ。けれど、目の奥は決して笑ってなどいない。いつになく、真剣だった。
「どうする? 前者を選んだ方があなたの為だとは思うけど」
「確かにそうだろうね。その方が賢い選択と言えそうだ」
「あら、話が早いじゃない」
アスカは満足そうに微笑んだ。その微笑みは勝利をどこか確信している。

「ただ……俺の妻は俺が浮気をしていることは知っているよ」
「どうして、そんなことがわかるの?」
「わかるさ。おまけに妻も浮気をしてる」
「ダブル不倫ってこと?」
「ああ。イマドキ、珍しいことじゃないけれどね」
ヒサシは涼しい顔をして言う。アスカは切り札を奪われた気がして、戸惑った。けれどそれを顔に出すことは出来ない。
「だから、あなたの浮気が奥さんにバレても問題ないと?」
「……そうとは言い切れないかな」
ヒサシは言葉を濁す。
「俺の浮気を知ってからの浮気だろうから、俺の方が分が悪くなる」
「離婚はしないの?」
「今のところ、するつもりはない」
アスカは思わず、溜め息をついた。
「呆れた?」
「もう随分前から呆れてるわ。結局ねあなたは自分の周りにたくさんの女を囲っておきたいのよね。言わば、ハーレム」
「それが出来るだけの稼ぎと外見を持っていれば、試したくなるのが男ってもんだと思うけど」
「そうだ。こういうのはどうだろう?」
ヒサシはアスカの瞳をしっかりと見据えて、口を開いた。

「レナの代わりに、君が俺の愛人になるのはどう?」
アスカにはヒサシが口にする言葉が読めていた。
シンゴがきっとターゲットがアスカに行ってくるであろう言葉をいくつかあげていたのだが、その中の一つがそれだったからだ。
「そんな条件、飲めるわけないでしょう?」
「既婚者だから?」
「既婚者だからとか、独身だからとか、そんなこと関係ないわ」
「だったら、どうして?」
「その他大勢になるのがイヤだからよ」
「へぇ……意外な答えだな」
「その他大勢でも満足するような女に見えた?」
「そういうことを気にしないような女に見えていたよ」
「それは褒められているのかしら」
「俺としては、褒めているけどね」
ヒサシはグラスの残りの酒を一気飲み干した。
アスカもシャンディーガフを一気に飲み干した。二人は同時に立ちあがる。
「レナは諦めてもらうから」
「力ずくで持っていくつもり?」
「力ずくとはいかないまでも、あなたと接触はさせないつもり」
「依頼者にこのことがバレていると言っていもいいと?」
「ええ。好きにすればいいわ。それよりも、私にとっては、レナからあなたから離れることの方が今は大切なのよ」
そう言い残し、アスカはヒサシの元を去った。

「ユウキとですか?」
翌日、アスカは早速レナに会っていた。ヒサシに先手を打たれる前に動いたのだ。ヒサシは今頃会社だ。アスカはバイト終わりのレナを待って、近くのカフェにやって来ていた。
広々とした店内にはゆったりとした高級そうなソファが並べられ、来ている客もスーツをパリっと着こなした紳士的な人が多かった。
そんな中で、アスカとレナは幾分か浮いている。
「ええ、彼に会わせて欲しいの」
「……」
レナはアスカの思った通り、良い顔はしなかった。
レナの不倫をやめさせようと、ユウキが何度もレナに接触しているのだからそれは仕方がない。しかし、今回の作戦にはユウキの協力は必要不可欠だった。
「彼と別れたいんでしょう?」
「それはそうなんですけど」
「ユウキ君とあれからちゃんと話してないのね」
「……」
図星だったようで、レナは何も言わなかった。
レナが話し出すのを待ちながら、アスカはアールグレイに角砂糖を入れた。スプーンでかき混ぜると、バラバラと角砂糖が溶けていった。

アスカはアールグレイに口をつける。
レナは「わかりました」とつぶやくように答えた。
「今、彼を呼べる?」
「はい」
レナはそう言うと、メールを打ち始めた。
やはり、電話はしづらいのだろう。
すぐに返信が来たようで、レナの携帯電話が振動する。
「今から来るそうです」
レナは携帯電話の画面に視線を落としたまま言った。
「ありがとう」
アスカはレナに向かって微笑んだ。しかし、レナの表情は強張っている。
「どうして、そんなにユウキ君に会うのを嫌がるの?」
「ずっと不倫を反対されてましたし……」
「でも、その不倫をやめる為の協力をお願いするのよ。彼は喜ぶんじゃない?」
「喜ぶと思います。でも、私は彼に対して、いい感情はあまり抱けないというか……」
「そういうことね……」
なるほど、と思いながら、アスカは再びアールグレイに口をつける。
自分のことを思って不倫をやめるように言ってくれていたという良心はわかってはいても、不倫を続けていた時に煩わしいと思ってしまった気持ちが彼女の中にまだ残っているのだろう。
よくあることだわ、とアスカは思いながら、カップをソーサーの上に置いた。

しばらくすると、ウェイトレスに案内されて、ユウキがやって来た。
「お待たせしました」
「突然、お呼び立てしてごめんなさい」
アスカは立ち上がり、頭を下げる。
「別れさせ屋エミリーポエムの所長をしています」
「アスカさん、ですよね」
「はい。あなたはユウキ君ね」
「そうです」
「レナさんから聞いてるわ」
「俺も聞いてます。俺が呼ばれたってことは、レナの不倫のことについてですよね」
「ええ、その通りよ。どうぞ、お座りになって」
アスカとユウキのやりとりを見ながら、レナは居心地の悪そうな表情を浮かべていた。
ユウキの頼んだブレンドが運ばれてくると、アスカは本題を切り出した。
「実はあなたにお願いしたいことがあって、ここに来てもらったの」
「レナが不倫をやめてくれるなら、どんなことでもします」
「そう言ってもらえて、心強いわ」
「それで俺は何をすればいいんですか?」
ユウキは真剣な眼差しをレナに向けた。
「私にレナさんと不倫相手を別れさせたいと依頼した人の振りをしてもらいたいの」
アスカもユウキの目をしっかりと見据えて言った。

「勿論です。でも、どうして、そんな振りを?」
「守秘義務の問題があるから、詳細は言えないんだけど、不倫相手の方は別れさせ屋である私に依頼があった、ということをすでに知っています。けれど、依頼主を間違えているの」
「その間違えている依頼主が俺ってわけですね?」
「ええ。今、現在、別れさせ屋として、依頼主に不倫相手に依頼がバレているとなれば、私への報酬は基本的にありません。報酬をゼロにしない為に取引をしよう、と持ちかけられているんです。けれど、本当の依頼主は別にいます。だから、仮にあなたにバラされたところで私は特に困ることはありません」
「そこで俺に依頼主の振りをして、レナと別れさせよう、ということですね?」
「その通りです。レナさんと別れてもらう代わりに、私は依頼主にバラされることも厭わない、そういう交渉をしてきました」
「わかりました。やりましょう」
ユウキはアスカの説明を聞いて快諾した。
その間も、レナは終始つまらなさそな表情を浮かべ、テーブルの上に乗っているティーポットを見据えていた。

「それから、協力していただいくにあたり、勿論、こちらから報酬はお支払します」
アスカは仕事の時、特有の淡々とした口調で説明をした。
「いえ。それはいりません。俺もレナの不倫をやめさせたかったんです。俺じゃ出来なかったことをアスカさんがしてくれてるんです。それだけで十分ですよ」
「でも……」
「こちらこそ、お礼を言いたいくらいです」
「わかりました。お手間をおかけしてしまい、申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
アスカは頭を下げた。そんなアスカの姿を見て、レナはどうしてここまでして、自分とヒサシを別れさせようとするのだろう、と不思議に思った。アスカのその対応は、明らかに仕事の域を超えているように感じられたのだ。
三人はその後、大して話すこともなく、アスカが支払をして、喫茶店を後にした。
アスカはレナとユウキと別れると、事務所へと向かう。
あの後、二人は何を話すのだろう、と思ったけれど、それ以上は考えずに駅へと向かった。

アスカは事務所に着くなり、煙草に火をつけた。肺いっぱいに煙を吸い込み、吐き出す。溜め息が零れた。
多分、アスカがしなければならないことは、ほとんど全て終わっただろう。あとはマキコにヒサシに依頼がバレたことを悟られなければ問題はないはずだ。
アスカは書類に目を通す。
マキコに依頼されてから、数ヶ月が経ち、どうにか業務は完遂出来そうだった。
アスカは自分の仕事のことを考える。
レナとヒサシが別れて、それで全てが解決されるわけではない。
ヒサシにはまだ不倫相手が数人いるし、マキコのお腹の中の子どもがヒサシの子ではなく、不倫相手の子どもだとしたら、これから離婚が待っているだろう。そして、話し合いが行われ、マキコとヒサシは別々の人生を歩き始めるのだろう。
アスカが請け負うのは、ヒサシとレナを別れさせるところまでだ。
けれど、その先にも彼女たちには様々なことが待ち受けている。
それを思うと、自分のしている仕事は刹那的なのではないか、と思ってしまう。勿論、この仕事の重要性を十分理解しているものの、どこか空しくなってしまう時があるのもまた事実だった。

「男と女ってわからないわよね」
アスカはワイングラスを片手にぼやいた。
「思考回路が全く違うんだから、当たり前じゃない?」
シンゴは料理を運びながら言う。
「当たり前ねぇ」
アスカはシンゴの言葉に頷きながら、グラスに入っていたワインを一気に飲み干した。
シンゴは全ての料理を運び終えると、自分も席に着く。
「乾杯」
シンゴのグラスにアスカはグラスをあてた。
シンゴは一口ワインを飲むと、チーズを口にする。
今日のアスカはいつもと違うな、とシンゴは思っていた。
不思議なもので、毎日一緒にいると些細な変化にも気が付く。
きっと仕事のことでまた悩んでいるのだろう。
シンゴが聞き出すことも出来はしたが、アスカが自分で何か言い出すまで待とうと思っていた。
なんでも聞けばいいと言うものでもない。
「ワインまだあるよね?」
「ああ、あと三本は」
「良かった」
ほとんど空になっているワインボトルを持ち上げながら、アスカは嬉しそうに微笑んだ。
そんなアスカを見ながら、シンゴは今日はとことんアスカに付き合おうと思っていた。

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小説「サークル○サークル」01-388. 「加速」

 寝ているアスカを放っておいて、シンゴはコンビニへと向かった。朝食に食べるパンを切らしていたことを思い出したのだ。
 適当に服を選び、パジャマから着替えると、シンゴはそっと部屋を出た。
 コンビニ行き、ベーコンマヨネーズパンとメロンパン、チョコクリームパンをレジに持っていくと、さっきまで店内にいなかったユウキが立っていた。
「いらっしゃいませ。こんな時間に珍しいですね」
「君こそ、こんな時間に珍しいね」
「早番のヤツが風邪引いちゃったらしくて、代わりに俺が」
「なるほどね」
「お会計は三六〇円です」
 シンゴはポケットに入れておいた財布を取り出し、支払を済ませる。
「あれから、どうなの?」
 シンゴは後ろに人が並んでいないことを確認してから、ユウキの目を見て言った。
「レナのことですか?」とユウキは言った後、シンゴが頷いたを確認して、「あのまま進展なしですよ」と苦笑した。
「そうか……。でも、きっといい方向に向かうと思うよ」
 シンゴはそう言って、店を後にした。

小説「サークル○サークル」01-387. 「加速」

 翌日、シンゴはひどい頭痛で目が覚めた。喉もひどく乾く。吐き気がしないだけマシだな、と思いながら、アスカを見ると、アスカはぐっすりと眠っていた。
 シンゴはキッチンへミネラルウォーターを取りに行くと、ソファに腰を下ろして、ペットボトルに入ったミネラルウォーターに口をつけた。
 冷たい水が身体の隅々にまで渡っていく。半分くらい飲み終えたところで、飲むのをやめると、大きな溜め息をついた。
 頭痛薬を棚から取り出すと、残りの水を使って飲んだ。そして、再び、寝室に戻る。
 アスカは小さい寝息を立てていた。
 シンゴは音を立てないように布団に入ると、アスカに背を向ける。
 男女の呼吸のリズムは違うから、一緒に寝るのは効率的ではないと何かの本で読んだことがあった。けれど、こうして、隣で眠ることがシンゴにとっては良いことのように思えた。
 一人で眠るより、良質な睡眠は取れないかもしれない。それでも、どんなに微妙な関係性になっても、別れずに済む最善の方法に感じられたのだ。

小説「サークル○サークル」01-386. 「加速」

「君の仕事はいい仕事だと思うよ」
 シンゴは静かに言った。アスカは空になったワイングラスから、シンゴへと視線を移す。その表情は複雑さをたたえていた。
「いい仕事、か」
 アスカはぽつりと言うと、立ち上がり、新しいワインを持ってくる。
「シンゴも飲むでしょう?」
「ああ。アスカが飲むのをやめるまで付き合うよ」
「ありがとう」
 アスカは赤らんだ頬を緩ませた。
 アスカは新しくワインを開けると、新しく出したグラスに注ぐ。今度はロゼだった。
「珍しいね。アスカがロゼを買うなんて」
「たまにはね」
「何かで気分転換をしたかったんだね」
「そうなのかなぁ」
 本当は泣きたいのかもしれない、とシンゴは思ったが、それは言わなかった。泣かせてあげるのも優しさだけれど、泣きたいことに気付かない振りをするのも優しさだからだ。
「乾杯」
 シンゴとアスカはどちらからともなく、グラスを合わせる。
「美味しい!」
 アスカは嬉しそうに言う。
 いつもこんなアスカを見ていたいとシンゴは思った。
 アスカが悩んだり、悲しんだりしているのは、やはり見ていて辛い。
 そう思った時に、シンゴはどれだけ自分がアスカのことを好きなのかを知った気がした。

小説「サークル○サークル」01-385. 「加速」

 作家は自分とは全く別の人物の人生を描く。それはどこかに自分と共通点を持った他の誰かだ。
 シンゴが新しく書き上げた小説はアスカをモチーフに書いた。勿論、アスカのことが出てくるのだから、自分のアスカへの想いも十分に反映されている。そして、それがシンゴやアスカの知らない誰かに読まれるのだ。
 シンゴは自分の経験を元に小説を書くことに抵抗がなかったわけではない。けれど、書かなければならない、という一種の使命感とも取れる感情に突き動かされて、一気に書き上げた。
 自分の根底にある部分を露呈させなければ、小説を書けないことをシンゴは知っている。それが仕事だと思うからするのであって、仕事でなければ隠して生きていただろう。そういったことすらも、厭わないのが作家だ。
 仕事と割り切ることが時に必要となる。それは仕事が好きだからかもしれないし、その仕事をこなさなければならないからかもしれない。または、それ以外の理由からかもしれない。いずれにしろ、アスカのように考え過ぎてしまうのは良いことだとは思えなかった。


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