小説「サークル○サークル」01-139. 「加速」

 アスカはコートをクリーニングに出すと、急いで家に帰った。けれど、すでにシンゴの姿はなかった。きっとどこかに息抜きにでも行っているのだろう、と思い、アスカはシャワーを浴びに行く。
 人を好きになることで気持ちがこんなにもやもやすることがあるなんて、今までのアスカは知らなかった。いつだって、恋愛を客観的に見て、涼しい顔をして、対峙してきたのだ。けれど、ここに来て、ヒサシと出会い、余裕がなくなっていった。本来の恋愛の形がこうであるのならば仕方がないことなのかもしれないが、アスカにとっては、自分のペースを乱されたような気がして、癪に障る。しかし、この状況に抗えないのも確かだ。
 熱いシャワーを浴び、バスルームから出ると、用意していた洋服へと袖を通す。今日はバーの仕事は休みだ。このまま、今日は事務所に顔を出す必要もない。たまには料理をするのもいいかもしれない、と思ったアスカは髪を乾かすとそのままスーパーへと向かった。

小説「サークル○サークル」01-138. 「加速」

 ヒサシが連れてきた女のコートにカクテルを零してしまったのだ。コートをハンガーにかけず、膝の上に置いていた為、カクテルでその大半が濡れてしまった。アスカは丁寧に謝ると自分のコートを女に渡した。後日、カクテルで汚れてしまったコートをクリーニングに出して返すので、今日はそのコートを着て帰って下さい、とアスカが提案したのだ。
 女は最初遠慮していたものの、コートなしではとてもじゃないけれど、外は寒くて歩けないし、アスカの申し出を受けることにした。
 おかげでアスカはバーでの仕事を終えると、寒い中、コートも着ずにタクシー乗り場へと行き、そのまま事務所に向かったのだった。
 漸くに朝になったので、コートをクリーニングに持って行くことが出来るな、と思う。アスカはカクテルで汚れたコートを横目で見て、溜め息をついた。
 クリーニングに出したら、そのまま、帰宅して、一眠りしようと思い、立ち上がる。
 アスカは煙草の火を消すと、コートを紙袋に入れ、事務所を後にした。

小説「サークル○サークル」01-137. 「加速」

 アスカは事務所の机の上に足を上げ、書類に目を通していた。昨日、バーでの仕事が終わると、すぐに事務所に戻り、書類の整理をしていた。マキコからの依頼以外にもエミリーポエムには様々な依頼が舞い込んでくる。アスカ以外の従業員が担当している案件であっても、所長であるアスカが確認をしないわけにはいかない。たまたま、バーでの潜入と書類のチェックの日程がかぶってしまったのだ。家に連絡も入れず、事務所に直行したことで、シンゴが心配しているかもしれないな、と煙草に火を点けながらアスカは思った。
 電話でもしようかな……と思ったものの、仕事をしていたら邪魔はしたくない、と思い、結局、シンゴに電話はかけなかった。
 アスカは煙草の煙を天井に向かって吐き出しながら、昨日の夜の出来事を思い出す。
 バーで仕事をしていたら、いつものようにヒサシが女連れでやって来た。自分のことを誘っておいて、別の女と店に来るなんていい度胸をしているな、と思ったのも束の間、やはり動揺していたようで、アスカは普段しないようなミスをした。

小説「サークル○サークル」01-136. 「加速」

 夜が明けるまで、シンゴはリビングのソファでアスカを待ち続けた。けれど、やがては睡魔に負けて寝入ってしまった。目が覚めれば、アスカの姿があるかと思ったけれど、アスカはいなかった。家に帰宅した形跡もない。
 あの時、ホテルに入るのを止めていれば、とも思ったが、今更そんなことを思っても後の祭りだ。昨日の夜も思ったことだが、あの時、止めていたからと言って、アスカの気持ちがシンゴの元に戻ってくるわけではない。場合によっては、別れを告げられる可能性だってある。それならば、何も言わず、何もせず、ただ真っ直ぐに家に帰り、アスカが帰ってくるのを待った方がいい。そう結論づけたはずだった。けれど、シンゴの口からは溜め息が漏れる。
 ソファで眠っていた所為であちこちが痛い。寝返りもろくに打てない状況が肩こりと腰痛を増進させたような気がしていた。
 一つ大きな伸びをして、そのまま風呂場へと向かう。ぼんやりとしたままの頭で、シンゴは熱いシャワーを浴びた。憂鬱な朝の始まりだった。

小説「サークル○サークル」01-135. 「加速」

 ホテルに入ったのは今なのだから、すぐに二人のところに行き、ことに及ぶ前に止めることも出来る。けれど、シンゴにはその勇気がなかった。今更自分が二人の元へ行って、何を言えばいいのだろう。すでにアスカの気持ちがヒサシに向いていれば、何を言ったところで後の祭りだ。
 今まで、アスカを散々がっかりさせてきたのは自分だ。アスカが他の誰かに心を奪われても、文句なんて言いようがないことも自覚している。けれど、こんなにもあっさりと別の男のところに行かれると、立つ瀬がないとも思った。
 シンゴは複雑な気持ちを抱えたまま、しばらく、ホテルの入口を見つめていた。ひょっこりアスカが出て来るのではないか、と期待すらした。けれど、いくら待ってもアスカが出て来る気配はない。泣きそうになるのをぐっと堪えて、シンゴは踵を返す。
 シンゴは自転車を止めた場所まで戻ると、自転車に乗り、ゆっくりとペダルを漕ぎ始めた。
 その日の夜、アスカは帰って来なかった。


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