小説「サークル○サークル」01-352. 「加速」

「ご無沙汰しています」
マキコは丁寧に巻かれた巻き髪を揺らしながら、お辞儀をした。
「どうぞ、こちらへ」
アスカに促されるまま、マキコはソファに腰をかける。
アスカはお湯を沸かし、ノンカフェインの紅茶を淹れた。
「いつもすみません」
マキコは恐縮しながら、アスカから出された紅茶に口をつける。
「わざわざ、ご足労いただいてありがとうございます。今回のご依頼の進捗のご報告なんですが……」
「どんな感じでしょう? 相手の女性とは別れてくれそうでしょうか?」
「今、女性の方と接触しているところです。あと少しで別れさせることが出来ると思います」
「そうですか。じゃあ、最初の依頼通りの日程で別れさせていただけるんですね」
「そうなりますね」
マキコはそっと胸を撫で下ろす。
他にも女がいることはわかっていたが、まだここで言うわけにはいかなかった。ヒサシとの交渉が終わっていないからだ。
「お身体の方はいかがですか?」
アスカは差し支えない程度にマキコに尋ねる。
「お陰様で、順調ですよ」
「それは良かったです。それから……」
アスカは一通り、今後必要となる手続きについての説明を始めた。
けれど、アスカの気持ちはここにはなかった。あの写真のことがずっと脳裏を過っていたのだ。
一体、どういうことなのだろう……?
疑問だけがくるくると頭の中を回り続けていた。

小説「サークル○サークル」01-351. 「加速」

「どういうこと?」
アスカは写真をまじまじと見る。
その写真は別の案件で対象者を写したものだった。
ターゲットである男性の少し後ろにマキコが写っている。
「マキコは別の案件で不倫相手だったってこと……?」
混乱する頭の中をアスカは整理しようとする。
「この写真の書類は……」
アスカは写真の案件の書類を探そうと、山積みになっている書類に手を伸ばした。
その瞬間、ばさばさと書類の山が崩れ、紙が散乱する。
「最低……」
アスカはしゃがみこみ、書類を拾い始める。
時間が気になって、時計に目を遣れば、マキコが来る五分前だった。
取り敢えず、散らかった書類を拾い集め、何事もなかったように再び机の上に書類を置いた。
それと同時に来客を知らせるインターホンが鳴った。
「どうぞ」
ドアを開けて、アスカはマキコを出迎える。
そのお腹は以前会った時よりも、幾分か大きくなっているように見えた。これでもまだヒサシが気が付いてないのだとしたら、きちんと妻のことを見ていないのか、よっぽどアホだ、とアスカは思った。

小説「サークル○サークル」01-350. 「加速」

翌日、アスカはマキコに電話をした。依頼の進捗を報告したい、と言ったら、マキコは来ると言った。
アスカは電話を切ってからずっとマキコを待っている。
マキコが来ることが気になって、他の仕事が全く手に付かない。
煙草の吸殻だけが、灰皿に溜まっていった。
アスカは時間の無駄遣いだと思い、立ち上がると掃除を始めた。
普段、アルバイトたちが掃除をしているとは言え、アスカの机は手つかずだ。書類が山のように積まれ、今にも雪崩を起こしてしまいそうだった。
書類を一枚一枚確認しながら、シュレッダーにかけるものと、ファイリングするものへと分けていく。
どうして、こんな風になるまで放っておいたのだろうと、自分の怠惰さに溜め息をつきながら、アスカは書類を次々仕分けていった。
その時だった。
はらはらと一枚の写真が床に舞い落ちる。
アスカは写真を拾い上げると、確認する為に写真を見据えた。
「え? これって……」
アスカの持っている写真には、なぜか依頼者のマキコが写っていた。

小説「サークル○サークル」01-349. 「加速」

シンゴはもう寝るというアスカと別れると、書斎に戻った。
原稿は書き終わっている。読み終わった後、清々しい気持ちになれるようにハッピーエンドにした。あとは推敲を終えれば、原稿を送れる。
シンゴは文字の並んだ画面を見ながら、首を傾げた。
小説はフィクションだ。けれど、現実の方が随分と衝撃的なことが多い。
今回だってそうだ。小説のモチーフはアスカのことだけれど、結末は至って明快だ。しかし、アスカの前に立ちふさがった事実は複雑だった。
それにしても……とシンゴは思う。
どうして、依頼者はアスカにあんな嘘をついたのだろうか?
シンゴにはどうしてもその理由が思いつかなかった。
早く解決してほしい、というのは、依頼者の心情としては理解出来る。けれど、それだけの理由にしては、いささか弱い気がするのだ。
もしかして……とシンゴは思う。
でも、そんなことはあるわけない、とも同時に思った。
シンゴは文字の並んだ画面を見つめたまま、一つの可能性について、思考を巡らせ始めていた。

小説「サークル○サークル」01-348. 「加速」

「……それはひどい」
「でしょう? 私も正直、驚いたわ」
「でも、依頼者も嘘をついてるんだろう?」
「そうなのよ。依頼者は妊娠してるって私に言ってたの。でも、ターゲットの話によると、関係はないから、子どもが出来るはずはない、って」
アスカは自分の口から発せられる言葉を一つ一つ確認するように、ゆっくりと喋った。
「妊娠してないのに、妊娠してるって言ってた……?」
「ね、理解しがたいでしょう?」
「何か理由がない限り、そんな嘘を第三者の君につく必要はないよね」
「そうなの。ターゲットにじゃなく、私になぜそんなことを言ったのか……。子どもが産まれる前に浮気をやめさせたいって言ってはいたけど……」
「てことは、早く別れさせてもらう為に、君に嘘を?」
「……そういうことだと思うんだけど、なんだか腑に落ちなくて……」
「僕も話を聞いていて、納得は出来ないな……。でも、一体、なんの為に……?」
「全く見当がつかないわ。一度、依頼者には色々と報告もしなきゃいけないし、会わなきゃいけないんだけど、なんて切り出そうかと思って……」
アスカは困惑した表情のまま、ぬるくなったホットミルクを喉に流し込んだ。


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