小説「サークル○サークル」01-334. 「加速」

「それから、メールの連絡も絶った方がいいと思うけど、我慢出来る?」
「一ヶ月くらいならね。元々、メールはあんまり好きじゃないんだ」
「でも、マメそうよね」
「それは、女性の為さ」
この男は筋金入りの女たらしなのだとアスカは思った。相手の女を愛しているから、マメにメールをしたり、オシャレなバーに連れて行ったりするわけではないのだ。ヒサシがそれらをこともなげにこなすのは、自分が女を囲っておきたいからに他ならない。
「あなたの本音を聞いたら、がっかりする女性は多そうね」
「だろうね。でも、いつだって、本音と建前は用意されているものだろう?」
「そうかもしれないけど、恋愛してる時は相手の全てをそのまま信じたいものよ」
「へぇ、気味がそんなことを言うなんて意外だな。もっと現実主義かと思ってたよ」
「仕事とプライベートは別なの」
アスカの一言にヒサシは笑った。
「一体、何人の女の子と付き合ってるのよ」
アスカはずっと前から気になっていたことを訊いてみた。

小説「サークル○サークル」01-333. 「加速」

何も言わないアスカをヒサシは見ている。視線を感じながら、アスカはカウンターの向こう側にあるグラスの置かれた棚をじっと見つめていた。
「君の答えは?」
ヒサシは落ち着いた調子で言った。余裕があるのが見て取れる。
アスカはヒサシの方を向くと、にっこりと微笑んだ。
「わかったわ。その代わり、私が別れさせ屋として依頼されているということをあなたが気が付いたことは黙っててくれる……ということね?」
「そういうことだ。やっぱり、君は頭の回転が速いね」
「でも、上手くいくかしら?」
「何が不安?」
「あなたたちが別れたということを相手にどうやって信じさせればいいのかな、と思ったのよ」
「それは難しいね。そうだなぁ……」そう言って、ヒサシは考え込む素振りを見せて、続けた。「彼女にも別れたと言わせて、一ヶ月くらいは会わないようにするよ」
「破局を偽装するってことね」
「ああ」ヒサシは頷く。
「それはいいかもしれないわ」
アスカは言って、にっこりと微笑んで見せた。

小説「サークル○サークル」01-332. 「加速」

アスカは嫌な予感がした。ヒサシはきっと自分がイエスと言わざるを得ない条件をつきつけてくるだろう。そうして、自分の都合の良いように、全てを回していくのだろう。
このままではまずい、とアスカは思った。けれど、思うだけで、解決策はすぐには浮かばない。
マキコからの依頼のこともある。どうしたものかと頭を悩ませた。
「依頼者の男に伝えてほしいんだ。彼女と俺は別れたって」
アスカは口の中で小さく「えっ……」と言ったが、ヒサシには辛うじて聞こえなかったようだ。
アスカはヒサシが勘違いしているのだということに、ワンテンポ遅れて気が付いた。
ヒサシはレナのことを好きな男が不倫をやめさせようとしていると思っているのだ。きっと、レナからさっき中華レストランで会った、レナとヒサシを別れさせようとしている幼馴染の話を聞いたことがあったのだろう。だから、依頼者のことを「男」と言ったと考えれば、辻褄が合う。
アスカはほっと胸を撫で下ろし、モヒートを一口飲んだ。

小説「サークル○サークル」01-331. 「加速」

「いつから気が付いてたの?」
アスカはモヒートに口をつけてから訊いた。
「結構前からかな」
「結構前……?」
「レナの様子が変わったんだ。誰かの影響を受けていることはすぐにわかった。最初は男かと思ったよ」
「でも、違った」
「ああ。まさか、君が絡んでいるとは思わなかったけど」
アスカはヒサシの言葉には答えずに再びモヒートに口をつけた。
「ここで俺と接触したのも計算のうちだろう?」
「ええ。隠しても無駄だから言うけど、その通りよ」
「俺にバレるってことは、作戦は失敗だな」
「そうね。でも、きっと彼女はあなたと別れるわ」
「どうして?」
「だって、あなたには他にも女がたくさんいる。彼女はそれを知らないわ」
「知ったら、別れる……か。俺としては、彼女を取られるのは痛いんだけどな……」
勝手な言い分だな、とアスカは思っていた。ヒサシは何か考えているのか、黙ったまま、グラスを見つめている。カランと氷の溶ける音がした。
「……取引をしないか?」
「取引?」
アスカはヒサシの言葉に怪訝な顔をした。

小説「サークル○サークル」01-330. 「加速」

アスカは一歩店内に足を踏み入れる。
店内は相変わらず薄暗く、微かにBGMがかかっていた。アスカはカウンター席に視線を走らせる。
ドアベルの音に反応してか、振り向いた男が一人――ヒサシだった。
アスカは何も言わず、空いているヒサシの右隣に座った。
マスターが一瞬驚いたような顔をしたけれど、マスターのいる位置とは席が離れていたので、特に言葉を交わすこともなかった。
新しく入ったであろうアルバイトの女の子がアスカの前におしぼりを持ってくる。注文を聞かれたので、アスカは「モヒートを」と答えた。
しばらくすると、お通しのワカメスープが運ばれてくる。それから、モヒートが間を開けずに運ばれて来た。
「来ないかと思ったよ」
ヒサシはアスカの方を見ずに言った。
「先約があったのよ」
「レナと会ってた、とか」
「もう全部わかっているみたいね」
「まぁ、夜は長い。取り敢えず、乾杯」
そう言って、ヒサシはアスカの持つモヒートのグラスに自分のグラスを軽くあてた。


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