小説「サークル○サークル」01-289. 「加速」

「どうするの?」
アスカは静かに聞いた。
「それは……」
レナは口を開きかけて、言葉に詰まる。
アスカはレナが続きを話し始めるまで何も言う気はなかった。グラスのビールを飲みながら、レナの言葉を待つ。けれど、レナは一向にそれ以上言葉を続ける素振りはなかった。気が付けば、アスカのグラスは空になっていた。
途中、店員がオーダーを取りに来て、まもなく、二杯目のビールが来た。アスカは新しいビールに口をつけて、レナを見る。レナは俯いて、悩んでいるようだった。
「それは……」
アスカはまた同じ言葉を繰り返した。何を戸惑っているのだろう、とアスカは不思議に思う。もしかしたら、助け舟を待っているのではないかと思い、アスカは口を開いた。
「決めてないの? それとも、決めてるけど、言うのが怖い?」
アスカの言葉にレナははっと顔を上げる。
「口に出してしまったら、その通りになってしまいそうで」
レナのその言葉を聞いて、アスカはレナが不倫をやめるのだということを悟った。

小説「サークル○サークル」01-288. 「加速」

レナは黙ったまま、じっとアスカを見ている。言葉を探している素振りもなかった。ただアスカの言っていることが正しいとその目は言っていた。
「違った?」
アスカは正しいということがわかっていながら、レナに問う。何を考えているのか、レナの口から聞きたかったのだ。
「……終わりに近づいているんだと思います」
レナは小さな声で言った。
アスカはやっぱりわかっているのね、と思ったけれど、それは口には出さなかった。
アスカがレナと接触するようになってわかったのは、レナは賢いということだった。
大抵、不倫をしている場合、我を忘れている場合が多い。その為、客観的に自分や相手を見ることが出来なくなってしまっているのだ。けれど。レナは違った。感情で動いているように見えて、その実、至極冷静に現状を把握していた。
だからこそ、アスカはレナのことが少し不憫でならなかった。冷静さを保っているということは、罪悪感もしっかり感じているということだからだ。

小説「サークル○サークル」01-287. 「加速」

「仕事はどう?」
アスカは当たり障りのない話題を振る。
「はい。いつも通りです。仕事してる時は仕事のことだけ考えてられるからいいなって」
レナはそう言って苦笑する。アスカといろいろ話をしていくうちに不倫をしているということの苦痛が次第に増しているようだった。
「そう……」
アスカは相槌を打ちながら、角を曲がる。そこにアスカの行きつけの和食屋があった。
「ここよ」
店に入るアスカの後をレナがついていく。店員の「いらっしゃいませ」という落ち着いた声で二人は出迎えられた。

注文した料理がいくつかテーブルに到着し、二人は食事に箸をつけていた。会話は世間話が中心で不倫の核心にはまだ及んでいない。
グラスの飲み物が半分くらいなくなったところで、もうそろそろいいか、と思い、アスカは切り出した。
「さっき言ってた仕事に打ち込んで考えないのが楽……っていうのだけど……。それって、もう恋が終わりに近づいてるってことじゃないかしら」
アスカの言葉にレナの表情が一瞬曇った。

小説「サークル○サークル」01-286. 「加速」

「今日は行きつけの和食屋さんなんてどうかなって思うんだけど、そこでいいかしら?」
「はい! 最近、和食好きなんで、嬉しいです!」
 レナは笑顔でアスカの質問に答える。こんなにも素直な笑顔を向けるレナを見ていると、ヒサシのことが許せない気持ちになるから不思議だ。明らかに良心のある大人のすることではないな、とヒサシの行動を思った。
 不倫は男女ともに非がある。けれど、レナはまだ若く、恋に恋する年頃だ。そんな女の子相手に大人がちょっかいを出していいわけがないのだ。
 今日、レナにヒサシとの別れを決意させる。それがアスカのやるべきことだった。依頼の期限を考えても、今日は絶対に失敗が出来ない。アスカは歩きながら、話の持って行き方をもう一度反芻していた。
「あの……アスカさん」
「何?」
「いえ……何でもないです」
 レナは何かを言おうとしてやめた。アスカは気になったが、敢えて、深くは訊かなかった。話す必要があることなら、レナが自分で話すだろう。

小説「サークル○サークル」01-285. 「加速」

 ユウキを連れて来たのは間違いだったな、とシンゴは内心毒づいた。けれど、こうなってしまっては、後の祭りだ。
 シンゴは気持ちを入れ替えて、ユウキの肩にぽんっと手を置いた。
「今日は付き合わない方がいいと思うよ」
「いえ、付き合います!」
「僕は一人で大丈夫だし、好きな女の子を尾行するなんて良くないだろう。もし、彼女の不倫相手が出て来たら、どうするんだ? 感情的になって、彼女たちの前に出て行ったら、関係がぐちゃぐちゃになるだけだろう」
 シンゴは暗に帰れと言っているのだが、ユウキにはその本意は届かなかったようだ。
「いえ、俺なら大丈夫です。冷静に対処しますから!」
 ユウキは自信を持ってそう言った。シンゴは「でも……」と言いかけてやめた。ユウキの目があまりに真剣そのものだったからだ。
「わかった。くれぐれも無茶なことはしないようにね」
「はい!」
「どうやら、移動するみたいだね」
 シンゴは動き出したアスカとレナの尾行を始めた。


dummy dummy dummy