小説「サークル○サークル」01-231. 「加速」

「ねぇ、やっぱり、今日はイタリアンでもいいかしら?」
 アスカの言葉にレナはきょとんとする。
「実は普段は混んでいて入れないイタリアンが、この時間帯なら入れるのを思い出したの。ここなら、いつでも来られるし、どう?」
 ここでエスニック料理がいいと言われれば終わりだったが、アスカが強引にここを出ようとしたら怪しまれる。賭けに出るしか方法はなかった。
「イタリアンですかー!? 大好きです!!」
 レナは目をキラキラさせて、アスカを見た。
「じゃあ、イタリアンに行きましょう」
 アスカは逸る心を抑えて、エスニック料理店を出た。
 レナに気付かれないように、アスカはほっと胸を撫で下ろす。
「こっちよ」
 アスカは来たのとは反対方向に歩き出した。

 イタリアン料理店はアスカの言う通り、席に空きがあり、すぐに通してもらえた。
「ここのピッツァは雑誌やテレビで紹介されるくらい有名なの」
「あっ、私も見たことあります! この前、お昼の番組で紹介されてました」
 レナが嬉しそうに話すのを見て、アスカはここにして良かったと思った。

小説「サークル○サークル」01-230. 「加速」

ゆっくり色々なことを聞き出したかったアスカは、エスニック料理の店へと向かう道中では、敢えて、会話の内容を映画の話題に絞った。
アスカは映画の話をしながらも、頭ではレナに訊き出す内容をまとめ、手順を確認していた。
レナとヒサシをいかに早く別れさせるかは、アスカの腕にかかっている。今まで色々な遠回りをしてしまった分、アスカは焦っていた。
「ここよ」
エスニック料理屋のドアを開けた瞬間、アスカの背中には嫌なものが走った。
アスカの目に飛び込んで来たのは、ヒサシだったのだ。浮気相手と来ているのか、仕事で来ているのかはわからない。
けれど、こんな早い時間に仕事を抜け出してくることが出来るのだろうか。それとも、平日だというのに、休みだというのだろうか。
理由はどうあれ、ヒサシが同じ店にいるというのはまずい。幸いにも店員はまだアスカたちがやって来たことに気が付いていなかった。アスカは機転を利かせて、レナの方を振り向いた。

小説「サークル○サークル」01-229. 「加速」

この後、予定があると言われても、携帯の番号さえ交換してしまえば、こちらのものだ。第一、レナはアスカに好意を持っている。
レナはアスカに再び微笑みを向け、「この後、大丈夫です」と答えた。
アスカはほっと胸を撫で下ろす。後日でいいと言ったって、出来る事なら、数日空くのは避けたかった。タイムロスは少ない方がいいに決まっている。
「良かったら、食事にでも行かない? 夕飯には少し早いけど、この近くの良い店を知っているの」
「いいんですか? 嬉しいです」
レナは本当に嬉しそうに言う。アスカも悪い気はしなかった。
本来ならきっとレナのことを嫌いになっているだろう。事実を知っているのは、アスカだけだったが、レナが恋敵であることに変わりはない。けれど、自分に対して好意を持ち、可愛く振る舞うレナを見て、嫌いになどなれるはずもなかった。そんな自分の気持ちにアスカは驚いてもいた。
アスカは複雑な気持ちのまま、下調べをしておいたエスニック料理の店へレナと向かった。

小説「サークル○サークル」01-228. 「加速」

やがて、映画はエンドロールを迎えた。
エンドロールが終わった後、館内に電気が点く。二、三言葉を交わして、アスカとレナは立ち上がり、映画館を出た。
「誘ってくださって、ありがとうございました」
レナはにこっと微笑むと、頭を下げる。
「いいのよ。ペアの鑑賞券もらっただけだし。こちらこそ、付き合ってくれてありがとう」
「実はずっと仲良くなりたいなって思ってたんです」
レナは少し頬を染め、アスカを窺うように見た。
「私と?」
アスカは半分演技をしながら答える。
「はい。いつもスマートでカッコ良くて、素敵だなぁって思ってて」
レナはものの言い方もしくざの一つ一つも、どれをとっても可愛らしかった。マキコとは真反対のタイプだ。ヒサシがレナに惹かれるのも、少しわかるような気がするな、とアスカは思った。
「この後、時間はある?」
アスカの目的は映画を観た後にあった。食事に誘い、ヒサシとの関係を聞き出すのだ。聞き出した後、数日から数週間でヒサシと別れさせるのがアスカの目標だった。

小説「サークル○サークル」01-227. 「加速」

アスカは自分で映画を選んでおきながら、映画が終わりに近づくにつれて、次第に嫌な気分になっていっていた。最初はレナへの当てつけのように感じていたものの、中盤に差し掛かったあたりから、まるで自分への戒めのような気がしてきたのだ。
久々の映画鑑賞だというのに、映画を楽しむ、という気分にはなれなかった。勿論、アスカは仕事としてレナに接近する為に映画を観ているのだから、楽しむ必要はない。けれど、嫌な気分になる必要性もないのだ。
溜め息が漏れそうになるのを喉元でくっと止めて、アスカは字幕を追った。
映画はクライマックスに近付くにつれて、ハッピーエンドへと向かって行く。
主人公は浮気をされている女なのだから、ハッピーエンドは言うまでもなく、夫が不倫相手と別れて、自分の元へと帰ってくることだ。
けれど、見方を少し変えて、不倫相手の女が主人公だったら、男が妻と別れて自分のところへやって来るのが、ハッピーエンドとなったはずだ。
立場によって、ハッピーエンドは異なる。映画としては、ハッピーエンドという終わり方をしていたけれど、不倫相手の女に感情移入して見ていたアスカは、バッドエンドを迎えたような気分だった。


dummy dummy dummy