小説「サークル○サークル」01-203. 「加速」

 2人はしばし無言のまま、昼ご飯にありついていた。シンゴは菓子パンを半分たいらげたところで、ふと視線をユウキに向けた。ユウキは2個目のシーチキンマヨネーズのおにぎりのパッケージを外しているところだった。
「何か僕に用だったの?」
 シンゴは待っててくれ、と言われたことを思い出し、訊いた。
「実は……彼女のことで進展があったていうか……」
「進展?」
「はい。彼女、妊娠してるみたいなんです」
「えっ? 妊娠? やけに話が飛ぶね」
「えっと……この間、たまたま、彼女が産婦人科から出て来るのを見たんです」
「なるほど……」
 シンゴは菓子パンを見つめ、唸る。ユウキを励ましたい気持ちはあったが、産婦人科から出てきた以上、そういうことなのだろう、と思った。
 こういう時、気の利いた言葉を言える人間とは程遠いんだな、とシンゴは自分自身の気の利かなさ具合にほとほと呆れていた。
「きっと、このまま、彼女は泥沼離婚裁判とかになって、大変な目に遭っちゃうんですよね……」
 ユウキの言葉以上に声が悲しさを帯びていた。

小説「サークル○サークル」01-202. 「加速」

ユウキが差し出したホットカフェオレを受け取ると、シンゴは「ありがとう」と微笑んだ。ユウキのちょっとした気遣いが最近荒んでいたシンゴの心に優しく沁みる。
ユウキは何も言わず、シンゴの隣に腰を下ろした。シンゴはふとユウキとこんな風に話すのは何回目だろう、と思った。そして、その疑問が特に意味をなさないことに気が付いて、考えるのをやめた。
シンゴはさっき買った菓子パンをレジ袋から取り出すと、パッケージを開ける。
「オレも食べようっと」
ユウキはレジ袋の中から、おにぎりを取り出した。
「今日は廃棄の時間じゃなかったんで、一番安いシーチキンマヨネーズにしちゃいました」
ユウキはそう言ってはにかむ。シンゴはユウキの無邪気さが羨ましかった。自分にはそんな無邪気さは存在しない。若かった頃を思い返してみても、そんな無邪気さは皆無だった。こういう屈託のない笑顔を向けられるタイプは人に愛される。それがどれだけ財産であるか、きっとユウキは気が付いていないのだろうな、とシンゴは思った。

小説「サークル○サークル」01-201. 「加速」

 公園にはまばらに人がいる。昼時とあってか、ベンチに座って昼食をとる人の姿も見られた。シンゴは寒さをしのぐ為、ホットカフェオレの蓋を開けた。瞬間、コーヒーのかぐわしい香りが鼻先をつく。
 口に運ぶとふんわりと珈琲の味が口の中に広がり、遅れて甘いミルクが口の中を支配した。
 シンゴはユウキに尾行の話をするつもりだった。決行は何もなければ明日する。来られるのであれば来ればいいし、来られないなら、縁がなかったと思って、諦めてもらうつもりだった。
 シンゴがカフェオレを飲み終えた頃、ユウキが走りながらやって来た。
「すみません! 遅くなりました」
 ユウキは息を切らしながら、シンゴの元へとやって来る。ユウキの吐く息は白く、一瞬にして、ユウキの顔の周りを真っ白にした。
「そんなに焦らなくて良かったのに」
「でも、お待たせしていたんで……。あ、あと、これ、どうぞ」
 そう言って、ユウキが差し出したのは、シンゴが買ったホットカフェオレだった。
「え……」
「もう飲み終わってるかな、と思って、買って来たんです」
 ユウキはそう言って、無邪気な顔で笑った。

小説「サークル○サークル」01-200. 「加速」

 数日後、久々にシンゴはコンビニやって来ていた。コンビニにはシンゴの他にもう一人雑誌を立ち読みしている客しかおらず、閑散としている。シンゴは店内をぐるっと一周すると、菓子パンコーナーにやって来た。今日の昼ご飯は菓子パンに決めた。
 シンゴは新商品の菓子パンとレジ横にあったホットのカフェオレを手にすると、ユウキのいるレジへと向かった。
「いらっしゃいませ」
 ユウキは笑顔でシンゴを出迎えてくれた。手際良く、ユウキはレジに商品を通していく。
「あの、今日はもうこれから帰られるんですか?」
 会計を済ませたシンゴにユウキは、他の客には聞こえないように小声で訊いた。
「いや、公園で食べようかと思って」
「オレももうバイト終わるんで、待っててもらえませんか?」
「ちょうど良かった。僕も君に話したいことがあったんだ」
「それじゃあ、いつもの公園で」
「ああ、待ってる」
 シンゴはそう言うと、商品の入ったレジ袋を持って、コンビニを後にした。

小説「サークル○サークル」01-199. 「加速」

 パソコンに向かっている時は余計なことを考えずに済む。沸き出て来る言葉を打ち込み、並べていき、時折、読み返しては、その並び順を変えた。
 だから、小説を書いている時だけは、心穏やかになれるんだと思っていた。
 けれど、本当に書くということは、そういうことではない、ということをシンゴは知ってしまった。
 自分の傷を見て、抉り、目をそらしたい事実を直視し、その事実から与えられる悲しみや憤りに打ちのめされるのではなく、言葉に変換していくことが書くことだったのだ。
 シンゴはそうした現実に翻弄されながらも、小説を書き進めた。彼には今は書くことしか出来なかったし、一人でアスカの浮気にやきもきしているよりは、いくらか気が紛れた。
 シンゴはパソコンの画面を見つめながら、休むことなく、手を動かした。見る見るうちに画面が文字で埋まっていく。その光景を見ながら、シンゴは少しだけ安心していた。
 それは自分が悲しみに翻弄されるだけでなく、言葉に置き換えられる、という事実を目の当たりにしたからだった。


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