小説「サークル○サークル」01-147. 「加速」

 アスカは最近のシンゴの様子を見ていて、違和感を覚えていた。それが小説の仕事を始めたことによるストレスからなのであれば、仕方ないと思う。しかし、もしその原因が自分にあるのだとしたら、解決すべきことだとも思っていた。
 兎に角、シンゴがどこかよそよそしいのだ。
 アスカはバーでグラスを拭きながら、ぼんやりと夫婦について考える。
 一緒に住んでいるというだけで、夫婦と呼べるならば、それは今のアスカとシンゴの状態から逸脱することはない。けれど、愛し合って、一緒に暮らしているのが夫婦とするならば、いささか今の二人の関係は違うような気がした。
 そもそも、セックスをしなくなって、随分と経つ。シンゴは元々積極的な方ではなかったから、そんなに回数が多いわけではなかった。けれど、全くしなくなるには、まだ早い。
 求められなければ、なんだか自分が女であることを忘れてしまいそうだったし、女としてシンゴに認識されていないような気さえした。
 そう思ってしまう状況は嫌だけれど、だからと言って、自ら打破しようとしているわけでもなかった。どこか受け身な自分にアスカは溜め息をつく。

小説「サークル○サークル」01-146. 「加速」

 アスカからの告白は数日が経った今日もなかった。けれど、シンゴは何も言わなかった。いつも通り小説を書き、家事をした。以前より、アスカは家事をしてくれるようになり、随分と楽になったけれど、どこか手放しで喜ぶことが出来ない。それはきっとシンゴの求めているものが、アスカが家事をする、ということではなく、浮気の告白だからだろう。
 けれど、シンゴがアスカに浮気のことを問いただすことはなかった。浮気を責めないことが、真実を明らかにしないことが、得策だと思っていた。でも、本当は違う。シンゴはただ事実を突きつけられるのが怖かったのだ。
 しかし、その事実から逃げられるわけもなく、シンゴはずっと追われ続けている。アスカに問いただすことが出来ないのなら、相手の男に思い止まるように直談判するのが近道ではないか、とふとシンゴはぼーっとする頭のまま、思いついた。
 少々、卑怯な気もしたし、気が引けないと言えば嘘になる。けれど、何もしないで泣き寝入りするのはもっと嫌だった。

小説「サークル○サークル」01-145. 「加速」

「あのさ……」
「何?」
「昨日の夜のことなんだけど……」
「あぁ、やっぱり、怒ってる?」
 アスカの言葉に胃の辺りが何かにきゅっと掴まれるような感覚に襲われる。シンゴは浮気の告白を覚悟した。
「仕事が忙しくて、バーでの仕事を終えた後、そのまま事務所で仕事をしてたのよ。どうしても、今日の午前中までに目を通さないといけない書類があって」
「そうだったんだ……」
「ごめんなさい。電話を入れるべきだったわよね」
「あぁ、心配してたんだ」
 シンゴは喉元まで出かかった「本当は浮気してたんだろう?」という言葉をぐっと飲み込んだ。アスカが嘘をつき通そうとしているということは、自分との結婚生活を壊したくないということだ、と考えたのだ。結婚生活を壊したくないと思っているということは、浮気は単なる火遊びかもしれないし、間が差しただけかもしれない。少なくとも、浮気相手より自分が優位に立っているのであれば、夫婦関係の修復は可能だと思った。それならば、今は何も言わないのが得策だ。
 しかし、それはそれで苦痛が伴うものだということをシンゴは痛感していた。

小説「サークル○サークル」01-144. 「加速」

「出来たわよ」
アスカに言われて、シンゴは食卓テーブルへとやって来た。テーブルの上にはシチューやサラダなどがバランス良く並べられている。
「久々に作ったから、美味しいかはわからないけど」
アスカは言いながら、席に着いた。
「君の手料理を食べられるなんて、嬉しいな」
シンゴは無理に微笑んだ。内心、アスカは浮気の後ろめたさを払拭する為に料理をしたのではないか、と思っていたけれど、言えるはずもなかった。そんなことを言ったら、尾行をしていたことがバレてしまう。そんなことをする小さな男だと思われるのは嫌だった。
「いただきます」
シンゴは笑顔でそう言うと、食事に手をつけた。
「どう? 美味しい?」
アスカに問われ、シンゴは「すごく美味しいよ」と再び作り笑いをアスカに向けた。
「良かった。シンゴは料理が上手だから、がっかりされたらどうしようって思ってたのよ」
アスカは嬉しそうに言う。ふとシンゴは新婚の頃を思い出した。アスカは結婚した当初、いつだって、こんな風に笑っていたではないか。アスカが笑わなくなってしまったのは、、自分に原因があったのではないか、と思わずにはいられなかった。

小説「サークル○サークル」01-143. 「加速」

「おかえり」
 シンゴが家に帰ったのは、夕方になってからだった。アスカが笑顔で出迎えてくれたことに驚きを隠せなかった。妻の笑顔を見たのは、いつ振りだろうとさえ思った。
「ただいま」
 上手く微笑めないまま、シンゴはアスカに言うと、コートを脱ぎ、手洗いとうがいの為に洗面所へと向かった。うがいをしながら、動揺している気持ちを落ち着かせようとする。けれど、浮気をしている妻を相手に平静に装える程、シンゴは大人でもなかったし、冷静でもなかった。
 深呼吸を何度かすると、リビングへと向かう。リビングに入ると、シチューのいい匂いが鼻先をくすぐった。
 キッチンに目をやると、珍しく、アスカが料理をしていた。思わず、シンゴは自分の目を疑う。
「私が料理なんてしてるから、びっくりした?」
 アスカはシンゴの視線に気が付き、振り向きざまに言った。
「どうしたの……?」
「どうしたのって、あなたが小説の仕事を再開した以上、私も家事をやらなきゃいけないと思ったのよ。幸い、今日は午前中に仕事を片付けてこられたから、夕飯の支度も出来るし」
「そうだったんだ……」
「もうすぐ出来るから、テレビでも観て待ってて」
「うん、ありがとう」
 シンゴはもやもやした気持ちを抱えながら、アスカに言われるまま、ソファに腰を下ろした。


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