小説「サークル○サークル」01-61. 「動揺」

「女の勘で浮気に気が付き、ケータイを見て確信に変わる。浮気発覚で一番よくあるパターンだってことは、アスカが一番よく知っているだろう?」
「そうだけど……」
 しかし、アスカはどこか腑に落ちなかった。マキコがそんなことをするような女に見えなかったからだ。今になって思うと、依頼された時にどうして浮気に気が付いたのか、ということを訊かなかったことを後悔していた。いつもなら、間違いなく訊いていたはずだ。けれど、あの時、なぜかそんなことを訊く気にはならなかった。それはマキコの持つ雰囲気やしぐさが理由だったのだろうが、後悔だけがアスカの気持ちに残る。
「そうやって、依頼者はターゲットの浮気を知り、浮気相手までをも知ってしまった。そして、君のところにやって来た。外で仕事をしていれば、気が紛れるかもしれないけれど、ずっと家にいる専業主婦にとっては、家庭が全てになってしまいがちだからね。自然と視野が狭くなってしまうこともあると思うよ。依頼者が多趣味で習い事をいっぱいしていたとかっていうんなら、また違ってくるとは思うけど」
 そこまで言って、シンゴは「まぁ、僕も常に家にいる身だからね、依頼者の気持ちがわからなくはないんだ」と付け加えた。

小説「サークル○サークル」01-60. 「動揺」

「依頼者がターゲットのケータイを見たか、ターゲットの仕事先を覗きに行ったかのどちらかだろうね」
「そんな、まさか」
 アスカはマキコとの会話を思い出す。依頼された時にそんな話は聞かなかったし、何よりマキコが夫のケータイを見るような浅はかな女には見えなかった。けれど、もし夫に浮気の疑いがあったとしたら、どんな利口な女でもケータイを盗み見るようなまねをするのだろうか。
「嫉妬に狂えば、まさか、と思うようなことを人間は簡単にしてしまうと思うけど」
「嫉妬に狂うなんてこと、あるかしら?」
「その人、仕事は?」
「パートをしてるって言ってたわ。パートで依頼料を貯めたみたい」
「パートをした理由が依頼料の為だったとして、それまでは専業主婦だったとしたら?」
「何が言いたいのよ」
 アスカはシンゴの言っている意味がわからず、もどかしさからついむっとして強い口調になる。
「専業主婦だとしたら、家事をして、ターゲットの帰りを待つ毎日の繰り返しだろう? だけど、ターゲットは浮気をして、帰りが遅い。そうなれば、寂しさは募るばかりだと思わないかい?」
「そりゃあ、そうかもしれないけど……」
 アスカは思考を巡らせたが、シンゴの言葉に反論する良い理由を見つけることが出来なかった。

小説「サークル○サークル」01-59. 「動揺」

「周到さ故ってどういうことよ?」
 アスカはいつもと違って、若干だが輝いて見える夫に向かって言った。
「浮気がバレないように完璧に振る舞うだろう? けれど、その完璧さはある種の不自然な空気を生んでしまう。そして、その空気を女性は見事に見破るんだ」
「よく言う女の勘ってやつ?」
「そうだよ。嘘には必ずどこかに綻びがある。その綻びはとても小さくて、普通じゃ気付けない。特にこれが男女逆転の場合は尚更。男性にはちょっとした空気の違いを見破るような鋭さは備わっていないからね。けれど、女性にはその鋭さが生まれつき備わっている。だから、女性は男性の浮気にすぐ気が付けるんじゃないかな」
 今までの明確な推理とは打って変わって、憶測の域を出ないシンゴの発言に、アスカはいささか訝しげな表情を浮かべたが、敢えて口にはしなかった。シンゴの言わんとしていることは、女のアスカにはいくつも心当たりがあったからだ。その代わり、別の疑問を口にする。
「でも、どうして、浮気相手まで誰なのかがわかるのよ」
「それは簡単さ」
 シンゴは得意げな顔をする。アスカは一瞬イラっとしたが、表に出さずにシンゴの話の続きを待った。

小説「サークル○サークル」01-58. 「動揺」

「食事が冷めちゃうよ」
「そうね……」
 アスカはどこか上の空で返事をする。彼女はありったけの想像力と論理力で思考を巡らせたが、シンゴのスピードには敵わなかった。こういう時、悔しいけれど、本当にシンゴのことをすごいと思う。この人の妻で良かったと思う唯一の瞬間だと言っても、過言ではなかった。
「一人で毎晩飲みに行くのって、おかしいと思われないかしら?」
「それが習慣だと言えばいい。それにそう言われたって、一人で行っていた、と言えば、それまでだよ。人は嘘をつく時、全てを嘘で固めるとついついボロが出てしまう。だけど、ピンポイントで嘘をつけば、その嘘はバレにくくなる。だから、一人で行っていた、という嘘をつくくらいなんてことないと僕は思うけど」
「なるほどね……」
 アスカは頷いたものの、はっとした。だとしたら、どうして、マキコはヒサシの浮気に気が付いたというのだろう。
「でも、そんなに周到に嘘がつける賢さがあるのに、どうして、依頼者に浮気がバレたのかしら?」
「そういうタイプはホテルの領収書を持って帰るなんてヘマはしないだろうし、バレるとすればその周到さえ故だろうね」
 シンゴは微笑む。その微笑みにアスカは一瞬ぞくりとした。

小説「サークル○サークル」01-57. 「動揺」

「ターゲットはきっと君の話を家に帰ってから、依頼者にしてると思うよ」
「えっ」
「だって、それが自然だと思わない? ターゲットは毎晩飲んで帰ってくるわけだろう? そうなれば、どこで誰と飲んでいたの、という話になる。そうした時、バーなら一人で飲んでいたって、おかしくなんてないし、いちいち会社の同僚や上司と飲んでいた、なんて嘘はつかなくていいからね。その証拠にバーで話した君の話をする。そして、依頼者は別れさせ屋である君と話しているんだということに気が付く。だけど、別れさせ屋だと言っても、相手は女性だ。そこに嫉妬心が芽生えないと言い切れる?」
「それは……」
「ターゲットは頭の良い人だと思うよ。浮気現場にバーを選ぶなんて。一緒に連れてきた女性の話は依頼者にはせずに、バーで話した君の話だけをする。この時点でターゲットは何一つ嘘をついていないんだからね」
 シンゴはスープを口に運んだ。少し生ぬるくなっていたが、かぼちゃの味が口の中いっぱいに広がることに幸せを感じた。もう一口飲もうとして、アスカを見る。アスカは難しい顔をして、パエリアを見つめていた。


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