小説「サークル○サークル」01-201~01-210「加速」まとめ読み

公園にはまばらに人がいる。昼時とあってか、ベンチに座って昼食をとる人の姿も見られた。シンゴは寒さをしのぐ為、ホットカフェオレの蓋を開けた。瞬間、コーヒーのかぐわしい香りが鼻先をつく。
口に運ぶとふんわりと珈琲の味が口の中に広がり、遅れて甘いミルクが口の中を支配した。
シンゴはユウキに尾行の話をするつもりだった。決行は何もなければ明日する。来られるのであれば来ればいいし、来られないなら、縁がなかったと思って、諦めてもらうつもりだった。
シンゴがカフェオレを飲み終えた頃、ユウキが走りながらやって来た。
「すみません! 遅くなりました」
ユウキは息を切らしながら、シンゴの元へとやって来る。ユウキの吐く息は白く、一瞬にして、ユウキの顔の周りを真っ白にした。
「そんなに焦らなくて良かったのに」
「でも、お待たせしていたんで……。あ、あと、これ、どうぞ」
そう言って、ユウキが差し出したのは、シンゴが買ったホットカフェオレだった。
「え……」
「もう飲み終わってるかな、と思って、買って来たんです」
ユウキはそう言って、無邪気な顔で笑った。

ユウキが差し出したホットカフェオレを受け取ると、シンゴは「ありがとう」と微笑んだ。ユウキのちょっとした気遣いが最近荒んでいたシンゴの心に優しく沁みる。
ユウキは何も言わず、シンゴの隣に腰を下ろした。シンゴはふとユウキとこんな風に話すのは何回目だろう、と思った。そして、その疑問が特に意味をなさないことに気が付いて、考えるのをやめた。
シンゴはさっき買った菓子パンをレジ袋から取り出すと、パッケージを開ける。
「オレも食べようっと」
ユウキはレジ袋の中から、おにぎりを取り出した。
「今日は廃棄の時間じゃなかったんで、一番安いシーチキンマヨネーズにしちゃいました」
ユウキはそう言ってはにかむ。シンゴはユウキの無邪気さが羨ましかった。自分にはそんな無邪気さは存在しない。若かった頃を思い返してみても、そんな無邪気さは皆無だった。こういう屈託のない笑顔を向けられるタイプは人に愛される。それがどれだけ財産であるか、きっとユウキは気が付いていないのだろうな、とシンゴは思った。

2人はしばし無言のまま、昼ご飯にありついていた。シンゴは菓子パンを半分たいらげたところで、ふと視線をユウキに向けた。ユウキは2個目のシーチキンマヨネーズのおにぎりのパッケージを外しているところだった。
「何か僕に用だったの?」
シンゴは待っててくれ、と言われたことを思い出し、訊いた。
「実は……彼女のことで進展があったていうか……」
「進展?」
「はい。彼女、妊娠してるみたいなんです」
「えっ? 妊娠? やけに話が飛ぶね」
「えっと……この間、たまたま、彼女が産婦人科から出て来るのを見たんです」
「なるほど……」
シンゴは菓子パンを見つめ、唸る。ユウキを励ましたい気持ちはあったが、産婦人科から出てきた以上、そういうことなのだろう、と思った。
こういう時、気の利いた言葉を言える人間とは程遠いんだな、とシンゴは自分自身の気の利かなさ具合にほとほと呆れていた。
「きっと、このまま、彼女は泥沼離婚裁判とかになって、大変な目に遭っちゃうんですよね……」
ユウキの言葉以上に声が悲しさを帯びていた。

シンゴは菓子パンを食べていた手を止めて、ユウキを見た。
「まだそうなると決まったわけじゃない」
「えっ?」
「不倫相手の男が彼女を取るとは限らないだろう」
「そんな……! じゃあ、彼女は子どもを堕ろすってことですか!?」
血相を変えて言うユウキにシンゴは一瞬ひるむ。しかし、平静を装って、ユウキの目をじっと見た。
「よくあることだよ。不倫の大半は男の火遊びだ。男が本気になるのは珍しいと思うよ」
「……」
「君は彼女がその男と結婚してもいいの? 彼女のこと、好きなんでしょう?」
「そうなんですけど……」
ユウキの返事はいまいち歯切れが悪い。シンゴは不思議に思って、首を傾げた。
「子どもを堕ろすことは褒められたことではないと思うけど、彼女が不倫をやめる、いいきっかけになると思うよ」
「……ですよね……」
シンゴの言葉にユウキは思い詰めた表情で相槌を打つ。
ユウキは思い詰めた表情のまま、地面を見つめていた。話し出す様子もなければ、おにぎりを食べ始める気配もない。シンゴは仕方なく、菓子パンにかぶりついた。

シンゴが菓子パンを食べ終わる頃、ユウキは漸く視線を上げた。
「どうしたらいいか、わからないんです」
ユウキはシンゴを見て言った。シンゴはほんの少し残った菓子パンからユウキへと視線を向ける。
「優しく見守る……じゃダメなの?」
「本当なら、きっとそれが一番いいんだと思います。だけど、彼女が捨てられるのだけは嫌なんです。子どもが出来て、都合が悪くなったから、さようなら、なんてあまりにも勝手すぎます。きちんと男には責任を持ってもらいたいんです」
「なるほどね……」
ユウキの言っていることはもっともなことだったが、シンゴは今まで聞いたり見たりしてきた事実から、それは難しいだろうな、と思っていた。
さすがにシンゴ自身は不倫をしたことはなかったが、この年になれば、不倫をしている友達や知り合いは男女問わず、結構な数がいる。上手くやっているのは一握りで、その大半は泥沼だ。シンゴが知っている限り、妊娠問題に発展するのも決して珍しいケースではなかった。

「君はどうするつもり?」
シンゴの言葉にユウキは押し黙る。シンゴはユウキが口を開くのをじっと待っていた。
いくら時間が経っただろうか。漸く、ユウキが口を開いた頃、シンゴの持つホットカフェオレはすでに空になっていた。
「どうしたらいいのかわかりません。だけど、彼女を守りたいって思うんです」
「じゃあ、君はどうしたら守ることになると思うの?」
「それは……」
ユウキは一瞬シンゴを見て、再び黙った。シンゴはそんなユウキから視線をそらすと、目の前の芝生を見た。今日も犬が飼い主と戯れている。シンゴは幸せそうでいいな、と思った。そんなことを思う自分は幸せだと思っていないのだと、シンゴはこの時気が付いた。やはり、アスカの浮気が思いの外、効いているようだ。
「彼女をあの男から離して、オレが彼女を経済的にも物理的にも精神的にも守ります!」
あらゆるものから守ると言いたいのだろう。シンゴはそんなユウキの言葉に、まだまだ若いな、と思った。

「遠くから見守る、というのも、一つの守り方だよ」
シンゴは戯れる犬を見ながら言った。シンゴの言葉にユウキははっと息をのむ。そんなことをユウキは考えもしていなかった。
「それじゃあ、オレはただ黙って、何もせずに彼女を見ていればいいんでしょうか?」
「いいか悪いかは君が考えることだよ。僕は方法を提示したまでだ」
シンゴは淡々と言う。シンゴの言葉にユウキは思考を巡らせた。
「見守るなんて出来ません。そんなもどかしいこと……」
「それは君の感情で動いているだけだろう? 彼女にとっては、それが最高の守られ方かもしれない」
「どうして、シンゴさんはそんなことばかり言うんですか!?」
ユウキは今までとは打って変わって、食って掛かる。
「別にそういうわけじゃない。君は多角的にものを見ずに感情で動いているだろう? こういう問題は多角的に見る必要がある。冷静に判断しなければ、自分も相手も傷付くんだよ」
「……」
シンゴは半分自分に言い聞かせていた。だけど、思う。冷静に判断した後、アスカの尾行に踏み切った。そして、事実を掴んだんだ、と――。

「でも、シンゴさんだって……」
「ああ、相手の気持ちは考慮していない。けれど、相手の気持ちを考慮していないのは、お互い様だよ。浮気をしたのは、妻の方だからね」
「……」
「彼女にとって、君は幼馴染である、ということを忘れちゃダメだ」
「はい……」
ユウキは力なく答えた。
「そうそう、尾行は数日のうちに実行することになると思う」
「えっ……?」
「来たいんだろう? 尾行」
「はい!」
シンゴは自分でもどうして彼女を見守れ、と言った後で尾行に誘っているのかがわからなかった。彼女を見守るならば、尾行の方法なんて教えなくていいはずだ。シンゴは自分の行動の矛盾に内心呆れた。
「妻が夜出掛けたら、尾行する。その時は連絡するよ」
「それじゃあ、これ……」
ユウキは1枚の紙切れをシンゴに渡した。シンゴが開くと、そこにはユウキのものであると思われるメールアドレスと電話番号が書いてあった。
「ここに連絡して下さい。飛んでいきます!」
ユウキは満面の笑みでシンゴに言った。

「それじゃあ、また」
シンゴはそう言うと、立ち上がった。随分と長い時間、公園にいたのだと腰の痛みでわかる。シンゴはそれなりに若かったが仕事柄、腰痛持ちだった。長時間座ると、それに比例して背中になんとも言えない痛みが走った。

その日の夜、アスカは帰ってこなかった。無断外泊というやつだ。
今までもこういうことがなかったわけじゃない。彼女はよく事務所でうたた寝をして、そのまま、夜を明かしてしまうことがあった。けれど、それも今となっては、本当だったのか嘘だったのかは疑わしい。今回の浮気が初めての浮気とは限らないのだ。
シンゴは落ち着きなく、部屋を行ったり来たりしている。こんなことをするのは、漫画の世界だけだと思っていたが、そうでもないらしい。人間はそわそわするとじっとしていられない生き物のようだ。
シンゴは大きな溜め息をつくと、仕事用の椅子にどかっと腰を下ろす。画面は文字の入力を待っているかのように点滅していた。

シンゴはタイピングをしようとして、手を止めた。とてもじゃないが、書く気分になれなかったのだ。アスカが帰ってくるまでに、気持ちを落ち着けようと、シンゴはコーヒーを淹れに席を立つ。こんな時、煙草が吸えたら、どんなにいいだろう、と思った。
そして、アスカが煙草をふかしている姿を思い浮かべた。彼女は煙草がよく似合う。シンゴはアスカが煙草を吸っている姿が好きだった。自分にはない格好良さというものをアスカは持っている。それを見ているのが好きだった。だけど、その姿は今、遠くに行こうとしている。なのに、自分は尾行以外、何もしようとはしていない。そう思うと、自分が一体アスカとの関係をどうしたいのかがよくわからなくなってくる。
傷つくのが嫌だというなら、見なかった振りをしていればいい。けれど、それさえも出来ずに尾行なんてマネをしているのだ。そのくせ、あと一歩のところで踏み込めない自分がいる。そんな自分をシンゴは持て余していた。

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