小説「サークル○サークル」01-241~01-250「加速」まとめ読み
- 2013年04月11日
- 小説「サークル○サークル」, 「サークル○サークル」まとめ読み
- サークル○サークル
「彼のその一言があったから、私は笑顔でいられるし、毎日を楽しく過ごせるんだと思います」
レナの「毎日を楽しく過ごせる」という言葉にアスカはさすがに口を開いた。
「でも、あなたが楽しく過ごせる裏には、悲しんで悩んでいる人がいるかもしれないのよ。あなたとの浮気が奥さんにバレているとしたら、その奥さんは……」
「わかってます」
「……」
アスカが皆まで言い終えるより早く、レナはぴしゃりと言った。驚いてアスカは口を噤む。ピッツァが窯から取り出される音がふいに聞こえた。周りのどこか楽しげな雰囲気に気が付いて、自分たちがしている話の深刻さがなんだか現実のことではないような気がしてしまう。
「わかってるんです。奥さんにバレているとしたら、これほど、奥さんにとって辛いことはないだろうってことは」
レナは俯いたまま言う。
レナはレナで不安を抱え、悩んでいるのだ。アスカは感情のままに言ってしまったことを悔やむ。レナの気持ちを刺激しすぎてしまうのは、得策ではない。いかに自分が味方であるかを認識させなければならないのだ。レナを追及し、謝罪させる為にアスカは話しているのではない。レナをヒサシから引き離す為にアスカは話しているのだ。
冷静になろう、とアスカは深呼吸をした。それをレナは溜め息だと感じたのか、アスカの顔を見る為に顔を上げた。
「あなたも悩んでいるのね」
レナの視線に気が付いて、アスカは取り繕うように言った。
「はい……」
再び、レナは俯く。
ここから、自分が味方である、ということを上手くレナに認識させていかなければならない。アスカは気持ちを落ち着ける為に水を飲んだ。
「あなたはどうしたいの?」
「えっ……。どうしたい……ですか?」
「そう。これから、彼とどうなりたいと思ってる?」
困ったように視線を泳がせるレナにアスカは質問を重ねた。
レナはしばらく考えた後、ぽつりとつぶやくように「一緒にいたいです」と言った。
それがレナの本心なのだろう。体面を気にしているとしたら、「一緒にいたいけど、別れないといけない」となるはずだ。
「本当に彼のことが好きなのね」
「はい……。どうしようもないくらい」
素直にこんなことが言えるというのは、若い証拠だな、とアスカは思う。レナは自分より少し年下なだけだったが、二十代前半と二十代後半では明らかにモノの捉え方が違う。そして、考え方や発言だけでなく、身の振りも随分と変わったな、とアスカは思った。
私も年を取ったなぁ、とレナと話しながら、アスカはしみじみ思う。
「アスカさんは不倫していた彼と別れる時、辛かったですか?」
「辛かったわよ。だけど、どこかで安心もしたわ。もう周りの視線を気にしなくていいんだって。あなたにもない? 友達にも家族にも言えなくて、奥さんに見つからないようにこそこそ会う……なんて言うのかな。肩身の狭さっていうか」
「わかります……。いつもデートをする時は、この付近じゃ会えなくて。少し遠いバーに行ったり、メジャーなレジャースポットは避けたり。私は良くっても、彼が彼の奥さんとか奥さんの友達に会うかもしれないってことをとても気にしていて……」
「だったら、デートなんてしなきゃいいのにって思わなかった?」
「思いました。もっと堂々としていてよって」
レナは少し唇を尖らせ、拗ねたように言う。アスカはそんなレナを見ながら、バケットに手を伸ばした。オイルソースを絡め、口に放り込む。レナもイライラを紛らわせるように同じようにバケットを口に運んだ。
「不倫って難しいのよね。お互いが結婚していたら、納得もいくかもしれないけど、片方が独身だと独身の方はいつだって待たされているような気になる。だけど、その不満を口にすれば、この関係が終わってしまうかもしれない……。そう思うと、何も言えなくなってしまうのよね」
「そうなんです。だから、私……。彼に不満を言ったことは一度もありません」
「それが賢い立ち回り方だと思うわ。彼を失いたくないのならね」
「でも……どこかでわかってるんです」
「えっ……?」
レナの言葉にアスカはわざと聞き返す。レナが続ける次の言葉をアスカはわかっていた。
「いつかは彼と別れなきゃいけいなってこと」
アスカはレナのその言葉を聞いて、にっこり微笑んだ。
「わかってるんじゃない」
「わかってます。でも……今はまだ別れたくない」
「思う存分、納得の行くまで付き合うといいわ。彼から別れを告げられるのがいいか、自分から別れを告げるのがいいかにも寄るけれど」
アスカはそう言って、優しい眼差しをレナに向けた。
アスカは帰宅すると、ソファにどかっと腰を下ろした。
レナとの食事はひどく疲れた。神経を使い過ぎたのかもしれない。
風呂から上がったばかりのシンゴは、ソファに座るアスカを見て驚いた。
「今日は遅くなるんじゃなかったの?」
「十分遅いわよ」
アスカは壁に掛かった時計を見て言う。確かに時計は二十三時を指していた。
「ああ、バーで働いてた時のことかあるから、この時間でも早く感じるんだね」
シンゴは一人頷く。
「確かにまだ日付越えてないものね」
アスカはソファのへりに突っ伏した。
「どうしたの? やけにお疲れじゃない。何か飲む?」
キッチンからミネラルウォーターを取り出しながら、シンゴは言った。
「私にもお水頂戴」
「うん」
シンゴはミネラルウォーターを二本手に持ち、ソファに座った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
アスカはシンゴからミネラルウォーターを受け取ると、キャップを開けた。
「仕事、大変だったの?」
「えぇ、不倫相手と食事に行って来たの」
「その食事、上手くいったの?」
シンゴもミネラルウォーターを飲みながら、アスカに問う。
「多分、上手くいってると思う。彼女、自分から不倫のことを話してたし、これからどうしたいかとか何に悩んでるかも聞いたし……」
「順調そうだね。このまま、不倫相手がターゲットと別れるように仕向けられたら、この仕事も無事終わりだね」
「そうなんだけど、そう簡単にいくかなぁ」
アスカは天井を見上げた。天井の一点をぐっと睨みつけたまま、眉間に皺を寄せている。
「どうして? そこまで上手くいっているなら、問題ないんじゃないの?」
「そうなんだけど、ちょっと不安に思ってることがあってねぇ」
アスカはそこまで言うと、シンゴを見た。
「不安なことって?」
シンゴは不思議そうに問う。
「若さゆえの暴走っていのうかなぁ。若いからこそ、出来ることってあるじゃない? そういうのがありそうで不安なのよ」
「たとえば?」
「突然、奥さんのところに行って、全部ぶちまけちゃったりとか、子ども作るようにしむけて作っちゃったりとか」
「そんなことするかなぁ」
「する女なんて腐るほどいるわよ。その男が欲しいって思ったら、手段なんて選ばないってパターン、今までいくつも見てきたもの」
「それは怖いね」
「でしょ。それやられちゃうと、私たちですら、手が付けられないことがあるのよ」
「どうして?」
シンゴはミネラルウォーターを飲む手を止めて訊いた。
「男の方が情にほだされちゃって、奥さん捨てて、子どもの出来た不倫相手と結婚しちゃうのよ」
アスカは溜め息混じりに答える。
「まぁ、わからなくもないかなぁ……」
シンゴの言葉にアスカはシンゴを睨みつけた。
「ほら、やっぱり」
「何怒ってるんだよ」
「男ってそういう生き物なのよね。弱く見える方に流されて行く」
「えっ?」
「そういう女は弱く見えるだけで、計算高くて強い女なのよ。浮気されていることがわかっても、直接旦那に言えない方がよっぽど弱い女よ。その区別もつかないんだから、ホント男ってバカ」
「……何か嫌な思い出でもあるの?」
「別にそういうわけじゃないけど」
アスカは否定したけれど、シンゴは怪しいと思った。けれど、今、これ以上訊けば、火に油を注ぐことになりかねない。シンゴはそれきり黙って、アスカが喋り出すのを待っていた。
「でも、あの子なら、そういうことはしないかなぁ……」
アスカはぽつりと呟いた。
「どうして、そう思うの?」
「いいコなのよね。基本的に。本来なら、不倫なんてしなさそうなタイプなのよ。人のモノを奪おうってタイプのコじゃないの」
「でも、不倫してるんだろう?」
「そうなのよ。だから、何か理由があるんじゃないかなぁって」
アスカは今日のレナとの会話を思い出していた。
何かが引っかかる。けれど、何が引っかかっているのか、アスカにはまだわからなかった。
「それじゃあ、随分と佳境に入って来たってことだね」
「そうなるわね」
「それで疲れてるんだ」
「そうなの」
アスカはそこまで言うと、ミネラルウォーターを一気に飲み干した。あっという間に、半分が減っていた。
「でも、理由って?」
「それがわからないから悩んでる」
「そこまでは聞き出せなかったの?」
「ええ。さすがに一度に全部情報を引き出すのは無理だし、危険だわ。段階を一つずつ踏まないとね」
アスカは溜め息混じりに答える。
「アスカのことは疑ってないの? 自分とターゲットを別れさせに来たんじゃないかって」
「多分、それはないと思う。そう思ってたら、自分のことペラペラ喋らないでしょ。不倫してるって自分から告白するメリットがないもの。あの子はきっと誰かに自分の苦しみをわかってもらいたかったんじゃないかなぁ」
「不倫をしてるのに、苦しみをわかってもらいたいなんて、随分勝手じゃない?」
シンゴはアスカとターゲットとの関係を思い出し、思わず感情的になる。
「そうねぇ。でも、人間なんてそんなものでしょ」
アスカはさらっと言ってのけた。
その一言にシンゴは押し黙る。
確かに勝手なのが人間だ。だけど、不倫をしているアスカにその言葉を言われるのは腹立たしかった。
シンゴは口を閉ざし、アスカから視線をそらす。イライラを落ち着かせようと、小さく深呼吸もした。そんなシンゴに気付かず、アスカは続ける。
「何にせよ、今回はここまででね。彼女とターゲットを別れさせるにはもう少し時間が必要だわ」
「でも、期限を考えたら、そんな悠長なことも言っていられないんじゃないの?」
「そうなのよね……。だけど……」
そう言って、アスカは黙り、何か考えているようだった。
「そう言えばさ」
シンゴは言うか言うまいか悩んだ挙句、口を開いた。
「ターゲットとはその後どうなの?」
シンゴは口にしてからしまった、と思った。
これじゃあ、まるで、アスカとターゲットの関係を知っているみたいではないか。シンゴはアスカが自分の言葉の意味を素直に受け取ってくれるようにと願った。
「その後どうって、最近は接触してないからわからないわね」
アスカは考え込むような素振りを見せながら言った。
どうやら、シンゴの心配は杞憂に終わったようだ。
「そっか。それじゃあ、俺はそろそろ仕事に戻るよ」
「そう。頑張ってね」
アスカはシンゴに笑顔を向けた。
シンゴは書斎に戻ると机に向かった。スリープしていたパソコンを立ち上げ、書き途中の小説を読み返す。見つけた誤字脱字を直しつつ、気になる言い回しも書き直していく。そうして、途中のところまでやってくると、シンゴは新しい文章を紡ぎ始めた。
パソコンの画面に向かいながら、アスカの話していたことが頭を過る。
アスカはレナをイイコだという。けれど、不倫をするのにイイコなんておかしいではないか。明らかに欲しがってはいけないとわかっているものを欲しがっているのだ。
そして、現在、その欲しがってはいけないとわかっているものを手にしている。手にしている――というよりは、奥さんとシェアしていると言った方が近いかもしれない。
どちらにせよ、不倫なんてする女の子がイイコという表現を用いられて、語られることにシンゴは違和感を覚えていた。彼女はイイコなんかではないのだ。
しかし、それと同時にシンゴはよく耳にする都合のいいフレーズを思い出してもいた。
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