小説「サークル○サークル」01-411. 「加速」

「恋愛とは楽しいばかりではありません。不安や嫉妬を覚えるからこそ、その後の二人の関係が深まるのでしょう? 負の感情なしに愛情は深まりませんよ」
一見、ヒサシの言っていることは正論で良い言葉のように聞こえる。しかし、ヒサシの立場を考えると、その言葉の薄っぺらさにアスカは吹き出しそうだった。
“負の感情なしに愛情は深まらない”とよく言えたものだな、と思う。
不倫をしてしまえるような薄っぺらい愛情しか妻に向けられないヒサシが言ったところで、その言葉に全く重みはなかった。
人は自分の立場を忘れて、言葉を選んでしまう時がある。それを目の当たりにすると、滑稽なのだということがよくわかった。
「だからと言って、わざわざ、最初から不安や嫉妬を抱えなければならない不倫を選ぶ必要性はないはずです。幸せになれる可能性が低いんですから」
「何を持って、幸せとするかによりますよ。最初から決めつけることなんて出来ないはずです。好きな人と一緒にいられる幸せの前では、他の不幸せは霞んで見えるかもしれません」
ヒサシはそこで区切るとコーヒーを口にした。

小説「サークル○サークル」01-410. 「加速」

もしかしたら、ヒサシはわざと“レナが誰を好きか”ということをユウキに言わせるように仕向けているのかもしれない。ユウキが傷つき、動揺するのを狙っていることも十分考えられる。ヒサシは策士だ。頭が切れる。アスカはユウキが暴走しないことをただただ祈るばかりだった。
「だとしたら、問題ないのではないでしょうか? 好きな人と一緒にいたい、その想いを叶えられるんですよ?」
「それが不倫という形でなければ良いことだと思います。幸せなことでしょう。けれど、不倫であれば、一緒にいることで幸せだったとしても、別の感情も一緒に沸くとは思いませんか?」
「別の感情とは?」
「罪悪感や悲しみ、嫉妬……様々な不安を誘因する感情です」
ユウキの言葉をヒサシはふっと鼻で笑った。なぜ鼻で笑われたのか、ユウキはわからないようで眉間に皺を寄せる。
「失礼。それは、恋愛をしていたら、どんな人でも持つ感情ではありませんか?」
「……」
ヒサシの言うことはもっともだ。思わず、ユウキは言葉を失った。

小説「サークル○サークル」01-409. 「加速」

「仮にレナが不幸せだったとしましょう。では、どうして、不倫を続けたと思いますか?」
「それは……」
ヒサシの言葉に今度はユウキが黙る番だった。
レナは俯いたまま、二人の話を聞いている。
自分の所為でいがみ合わなくてはいい二人がいがみ合っているのだ。そんな光景を見るのは、心苦しいだろうし、今にも逃げ出したい気分だろう。
そう思いながら、アスカはレナを見つめていた。
こんな若さで、こんな思いをする必要性は彼女にはなかったはずだ。ただ一つ、不倫という道に足を踏み入れさえしなければ、良かっただけの話なのだ。
けれど、彼女は踏み入れてしまった。それは自業自得だけれど、なんだかちょっぴり可哀想にも思う。きっと彼女が以前口にしていたヒサシの奥さんへの謝罪の言葉の所為だろう。。
「それは……」
ユウキはしばし考えた後、言葉を選びながら口を開く。
「それは、あなたのことが好きだからではないでしょうか」
ユウキにとって、レナがヒサシのことを好きだと認めるような発言はしたくなかったに違いない。

小説「サークル○サークル」01-408. 「加速」

アスカはレナの様子が気になって、ちらりと彼女に視線をやった。
レナは俯いている。何も言葉を発しないのは、ユウキの言っていることが正しいからなのか、間違っているからなのかはわからない。ただ一つ言えることは、彼女にとって、今、この空間は居心地が悪いであろう、ということだった。
アスカも敢えて、ヒサシとユウキの会話に口を挟まない。
彼ら二人で気の済むまで話をすればいいのだ。心にモヤモヤが残ったままでは、お互いの為に良くない。モヤモヤした気持ちはいずれ心に滞留し続け、歪んだ方向に爆発する可能性だってある。後腐れないのが一番良い。その為には言いたいことを言わせる必要があった。
沈黙したまま、誰も言葉を発しない。
ユウキは言いたいことを言ったし、ヒサシはなんて言葉を返せばいいのか思案しているようだった。
ヒサシはきっとレナに事実を確認したいだろう。けれど、ここでレナに幸せだと言われたところで、レナに無理やり言わせている感は拭えない。

小説「サークル○サークル」01-407. 「加速」

「レナは不幸せになっていますよ」
ユウキの言葉にヒサシの眉が片方だけ上がったように見えた。
「どうして、あなたがそんなことを言い切れるんですか? 彼女に聞いたとでも?」
「聞かなくてもわかります。僕は彼女と子どもの時からの付き合いなんです。彼女を見ていれば、今が幸せなのか、不幸せなのか、わかりますよ」
ヒサシはユウキの言葉を鼻で笑った。
「本人に聞きもしないで、幸せか不幸せかわかる? なんの為に言葉があると思ってるんですか? 言葉で確認しないことには真実はわからないでしょう」
「時として、言葉が嘘をつくことをあなたは知らないんですね」
「……」
ユウキの言葉にヒサシは口を閉ざした。
まさか、ユウキからそんな言葉が飛び出すとは思っていなかったのだろう。
「きっとレナはあなたに“幸せか?”と訊かれたら、幸せだと答えるでしょう。恋人に幸せか? と訊かれて、不幸せだと答えるほど、彼女は無神経ではないですから」
アスカはユウキの饒舌さにただただ感心するばかりだった。


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