珍しい麹を使った日本酒だの、歴史上の人物が醸造した焼酎だの、果ては酒瓶自体が年代物の陶磁だの、珍しい酒の噂を耳にすれば、東西南北、何処へでも向かった。
槇村に試飲会で勝利する━プライドと嫉妬、伴う知識探究への喜び、様々な要素が相まって、いまや俺の生活はそれだけに占められていた。
自然と大学は休みがちになり、この一ヶ月は顔も出していない。
今日等、同じ学科の友人が心配し、電話をよこしてくれた。
「おい、どうして大学来ないんだよ!
このままじゃ単位が足りなくなるの、分かってんだろ!?」
「いや、心配させて悪いな。ちょっと調べ物が忙しくってさ」
「調べ物?
論文か何か、か? なんなら協力するぜ?」
「ああ、うん、そうだな。
お前さ、何か珍しい酒とか、うまい酒とか知らないか?」
絶句に次いでの深いため息。俺の酒好きを知っているせいもあり、さすがに友人は呆れたらしい。
そのまま電話を叩き切ろうとするのを慌てて止める。ひとつだけ確認したい事があったのだ。
「時に槇村━槇村卓はどうしてる?」
「ああ、お前と同様にずっと休んでるよ。
休みの時期が完全に被っているもんだから、お前らおかしな仲なんじゃないかと疑われてるぜ」
予想通りだ。試飲会では余裕を見せてはいるが、既に槇村もネタ切れに違いない。俺と同様、全国を駆けずり回って、奇酒を求めているのだろう。
(あっ━)
驚いた事に、そのハブは一つの胴体から二つの頭が生えている。いわゆる“双頭の蛇”という代物だったのだ。
「これは……、頭が二つ!?」
「珍しいでしょ? 稀にある奇形でさ。
このハブ酒の製法自体は特別なものじゃないけど、縁起物と見る向きもあって結構な値がしたよ」
確かに希少価値としては抜群だろう。
珍しい酒を持ち寄るという今日の試飲会の趣旨からすると、これは一歩譲らざるを得ない気もする。
しかし、チラリとのぞき見た槇村の表情に、勝者の色はなかった。槇村は槇村で、俺の酒の方が、稀少と思っているのかもしれない。
ここで下手なアピールをしては恥をかく事になりそうだ。引き分け、再戦へと持ち込もう。
「ま、まあ、これは俺が集めた秘蔵の酒のごく一部だけどな」
案の定、槇村は俺の話に乗ってきた。
「ああ、僕も見せたいお酒がまだまだあるよ」
「じゃあ、希少酒という同じテーマでリマッチといくか?」
「OK、そうしよう━」
うまく話をまとめた様で、何の事はない、すべての問題の先送りである。
そして、この日を境に俺達の流浪の旅が始まった。
「どうだ? 変わった味だろう?
深い甘みがある半面、成熟過程での酸味もまったく失われていない」
「…………」
「プラティーヌは傷みやすい品種らしく、農薬も受け付けない。
収穫できるようになるまでにはかなりの手間がかかるんだ。そいつをふんだんに使って蒸留した酒だからな。
なかなか手に入らんのよ」
「確かに、面白いな。
鼻に抜けるような芳醇さがあり、それでいて癖が無く飲みやすい……、まあ、うまいよ」
いつもの穏やかな笑みを浮かべたつもりなのだろうが、槇村のそれは口角の筋肉を歪める程度に留まった。
どうやら平素の自信をいささかなりとも傷つけられたようだな。
「それで? お前も酒を出せよ」
俺はここぞとばかりに畳みかける。
自然と声が大きくなっているのが分かった。
応じて槇村が取り出したのは茶色の大瓶━底の部分で何かが“とぐろ”を巻いている。
「おいおい、ハブ酒かよ。
まあ、意外ではあったけど、別段、珍しくはないぜ」
奇を衒うとは槇村らしくもない━今日の勝利を確信し、俺は内心ほくそ笑んだ。
「そのハブをよく見てよ」
そう促され、俺は酒に浸けられた瓶底のハブを凝視した。
槇村のマンションは港区白金の一等地にある。
36階建、白亜の殿堂といった趣の、一般庶民の妬みと嫉みが地縛霊を招き寄せそうな佇まいである。有名な酒造メーカーの御曹司ともなれば、その最上階に居座るのも当然と感じられるものなのだろうか。
部屋にあがると、小型のハウンド犬が唸り声をあげて“歓迎”してくれた。
犬の抜け毛が盃に付着する可能性から、酒飲みの風上にも置けぬ奴、と槇村を責め立ててみる事を思いついたが、塵ひとつない室内を確認するに至り胸中に留めた。
既に酒宴の仕度は済ませてあった。俺は槇村に勧められるまま上座へと着く。
「で? 面白い酒ってのはどれ?」
俺が口から出まかせを言った事を見透かしていたのだろう。出せるものなら出してみろ、と切れ長の目が語っている。
「こいつだ━」
俺はこの一週間、東奔西走して入手した(急ごしらえの)自慢の酒を取り出した。
「蒸留酒? シードルかい? 珍しくもないなぁ」
「使われている林檎が特別なんだ。
フランスのブルゴーニュ地方で取れるプラティーヌ━白金と名付けられた希少種さ」
「ふ~ん……」
俺からグラスを受け取り、一口含んだ槇村の顔に驚愕の色が走る。
なかなか心地良い瞬間だ。大学の講義を一週間もさぼった甲斐があったな。
俺と槇村は、毎週末、この酒の試飲会を開いている。
自他共に認める酒好きの俺たちは、大学一年の歓迎コンパで知り合い、自然と意気投合━事あるごとに自慢の酒を持ち寄るようになっていった。
ただ、神聖なキャンパスにアルコールを持ち込むのは如何なものかと、いっそ定期的な酒宴を催す事にしたものだ。
今日はたまたま日本酒だったが、洋酒、果実酒、蒸留酒━アルコールが入っていれば何でもござれの暴飲会である。
大学生の分際で酒道楽とは我ながらどうかとは思うが、酒屋の息子だ。温情願いたい。
ちなみに槇村の実家も醸造業で、国内屈指の作り酒屋である。いわゆる御用聞きのうちとは天地の差だ。この点でも、槇村は俺のプライドを傷つける存在だった。
「来週はお前の番だな━何を飲む?」
「ちょっと珍しい酒が手に入ってさ。まあ、任せてよ」
自信ありげな槇村の表情と、生来の負けず嫌いが俺の闘志に火を点ける。
「へぇ、ちょうど俺も面白い酒を見つけたところだ。あれはそう簡単に手に入る代物じゃないな」
別にそんな酒は用意していない。
口は災いの元とはこの事だ━結果、自慢の酒を用意するため、俺は翌日から全国を奔走する破目に陥った。
「じゃあ、お互いに持ち寄る感じでいく?」
「いいとも、楽しみだな」
次の試飲会の時間を約束して、俺達は別れた。