「でも、どうすればいいんだろう……?」
「それ相応の理由があればいいと思う。オフィスビルの社員だと怪しいから、自営業ってことにすればいいんじゃないかな」
「要するに、今の私のまんまってこと?」
「そういうこと。だけど、そのカフェに通う理由が必要になってくるんだよな……」
シンゴは腕を組み、思考を巡らせる。オフィスビルのOL設定が使えなくなった以上、もっとしっくりくる設定を考える必要がある。いかに矛盾のない設定にするかが、ポイントだった。
「そうだな……。近くに何か習い事出来るような場所はない?」
「ちょっと待って。今、地図見るから」
アスカはスマートフォンを取り出すと、地図のアプリをタッチした。すぐに住所を入力し、周りに何があるかを調べ始める。
「オフィス街だから、周りは会社ばっかり……。あとは飲み屋が並んでて……。あっ……」
「何かあった?」
「ジムがあった」
「それだ!」
「えっ……?」
きょとんとしているアスカにシンゴは自信満々に言った。
「ジムに通えばいいんだよ」
食事が半分くらい済んだ頃、シンゴは思い出したかのように口を開いた。
「頼まれてたプロフィール、出来たよ」
「ホントに?」
アスカは驚く。パスタを巻く手を止め、空いている左手を口元に持っていく。そのしぐさの端々に嬉しさが見え隠れしていた。
「こんなに早く出来るなんて、思っても見なかったわ」
「あのくらいなら、そんなに時間はかからないよ。食事が終わったら、確認して。一応、アスカの基本的な部分は変更せずに情報を付け足した形を取ったから、多分、無理なく、使えると思う」
「ありがとう。あとは私がしっかり設定を覚えて、レナに接触して、ターゲットと別れさせればOKってことね」
アスカはフォークにパスタを巻き直しながら言う。
「そうだね。でも、大丈夫なの?」
「何が?」
アスカは不思議そうにシンゴの顔を見た。
「オフィスビルのカフェってことは、ターゲットとアスカが鉢合わせることもあるんじゃない?」
「それは大丈夫よ。時間をずらして行くから。私は朝の混雑時間と昼の混雑時間の間に行くつもり。テイクアウトじゃ印象に残らないから、お店で一杯飲んで出てこうかなって」
「でも、それっておかしくない?」
「なんで?」
「会社の就業時刻って、どこも大抵同じだし、昼休憩だって大した差はないはずだよ。なのに、どうして、アスカだけそんな時間に来られるんだろうって疑問が出て来ると思う」
「言われてみれば……」
アスカは眉間に皺を寄せて、頬杖をついた。
昼ご飯の時間になり、リビングへと向かうと、美味しそうな匂いが立ち込めていた。ふとキッチンに目を遣ると、エプロン姿のアスカが何かを作っているようだった。
「何か作ってるの?」
シンゴの声に顔を上げると、アスカは微笑んだ。
「ちりめんじゃこのペペロンチーノよ。もうすぐ出来るわ」
アスカの言葉に少し驚きつつも、シンゴはソファに腰を下ろし、テレビをつけた。
テレビではお昼の生放送番組が最新のトレンド情報を流している。流行に疎いシンゴは初めて聞く言葉ばかりで、さっぱり意味がわからなかった。仕事柄、こういった流行にも敏感でなければいけないのにな、と思ったが、興味のあることではなかったので、いまいち、集中して聞く気にはなれずにぼーっと画面を眺めていた。シンゴはしばらくザッピングして、自分の好みの番組がないことがわかると、テレビの電源を切った。
「出来たわよ」
アスカはテーブルにちりめんじゃこのペペロンチーノを運ぶ。シンゴはソファから立ち上がると、席に着いた。
シンゴは書斎にこもり、プロフィールに色々な情報をつけ足していた。わざとらしくならないように、だけど、しっかりとこだわりを持って、作り上げていく。これはシンゴが自分の作品の登場人物を作る時と同じだった。
シンゴにとって、一度作った登場人物は小説の中のキャラクターというよりは、実在している人物に近い存在だった。それは彼が登場人物を作る時に、その人物の過去を作り込むからだろう。こういうことがあったから、こういう発言をするような性格になっていった。こんな経験をしたから、こういう対応を自然と出来るなど、彼の作り出す登場人物は、生きている人間同様の経験と理由、過去が用意されていた。だから、その登場人物たちが何かを言われた時、どのように返すかと問われれば、「多分、彼はこんな風に言うのだと思います」と伝聞形式でシンゴは答えた。彼にとって、登場人物は一度生まれてしまえば、自分の作り出したキャラクターではなく、生きている第三者となんら変わりない存在へとなる。
けれど、その感覚を理解してくれ、というのはなかなか難しい。だから、シンゴはアスカにそんな話をしたことはなかった。でも、今はそんな話をアスカにするのも悪くないかな、と思っている。もしかしたら、今回のアスカの元に舞い込んできた仕事は自分たちに良い何かをもたらすのではないか、とさえ思っていた。――アスカの浮気を除いてだが。
「昨日のプロフィールのことだけど」
シンゴはコーヒーを一口飲むと、アスカから頼まれていた仕事のことを切り出した。
「いつ頃、出来上がりそう?」
「もうほとんど出来ているから、明日には渡せると思うよ」
「ホントに?」
アスカは嬉しそうに言った。
「シンゴって仕事、早いのね」
「そんなことないよ。このくらい、普通だって」
アスカに褒められることに、シンゴは弱かった。アスカが自分のことを褒め、尚且つ喜んでくれているのだ。これほどまでに嬉しいことはないとさえ思った。
けれど、アスカは浮気をしている。そう思うと、複雑な気持ちになった。
アスカが優しいのだって、浮気の罪滅ぼしだと考えれば、手放しで喜ぶことも出来ない。けれど、「優しい」という事実だけを見れば、十分、幸せなことだとも思う。どこに焦点を当てるかで、幸せなのか不幸なのかが変わるのだ。
シンゴは出来るだけ、アスカの浮気について考えないようにした。せめて、一緒にいる時くらい、幸せを噛み締めたいと思ったのだ。