「おにぎりは気にしないで下さい。タダでもらってきたものですから。鮭とたらことツナマヨどれがいいですか?」
「じゃあ、鮭で」
「はい、どうぞ」
ユウキはがさがさとビニール袋から鮭のおにぎりを取り出すと、シンゴに手渡した。続いて、自分のたらこおにぎりも取り出すと、包装を慣れた手つき取り外した。
「ありがとう、いただきます」
シンゴもユウキに少し遅れて、おにぎりの包装を外し始める。
「それにしても、こうやって、コンビニ以外で会えるのって新鮮ですよね」
「確かにそうだね。生まれて初めてだよ。店で知り合った店員さんとご飯一緒に食べるの」
「オレも初めてです。しかも、憧れの作家さんと一緒なんて」
ユウキが嬉しそうにおにぎりにかぶりつくのを見ながら、シンゴは不思議な気持ちになった。売れなくなり、書店にさえ、過去の作品が数冊しか置かれなくなった自分のことをこんなにも憧れているのだ。隣で楽しそうに喋る彼を見ていると、このままではいけない、と思った。作家としてやるべきことをしていないのではないか、とシンゴは胸の奥が痛むのを感じていた。
「君、仕事は?」
「今日は遅番でちょうど今帰りなんです。あっ、お昼ご飯もう食べました?」
「いや、まだだけど……」
「廃棄するおにぎりもらってきたんですけど、一緒にどうですか?」
「でも……」
「どうせ、一人でご飯食べるんなら、オレと食べましょうよ。今、自販機でお茶買ってきますから」
ユウキはそう言い残すと、ビニール袋に入ったおにぎりを置いて、自動販売機まで走って行ってしまった。空を見上げれば、さっきと変わらず、雲が静かに流れている。
「お待たせしました! ウーロン茶と緑茶、どっちがいいですか?」
「緑茶をもらってもいいかな」
「はい、どうぞ」
シンゴはユウキからペットボトルの緑茶を受け取ると、ポケットから財布を取り出した。
「わざわざ買ってきてくれて、ありがとう」
そう言って、シンゴは二人分の小銭をユウキの前に差し出した。
「いいですよ、そんなの。オレが無理やり誘ったようなものですし」
「遠慮せずに取っておいてよ。大人に気を遣うものじゃない」
ユウキは渋々シンゴからお金を受け取って、怪訝な顔をした。
「あの……多いんですけど……」
「このくらいご馳走するよ」
シンゴの微笑みにユウキは笑顔で頷いた。
「あぁ、君は……」
「覚えててくれたんですね。コンビニではいつもありかどうございます。この間はお話出来て嬉しかったです。隣、いいですか?」
ユウキに言われて、シンゴは「あぁ」と言い、少し左端に寄った。
ユウキは遠慮がちにベンチに腰をかけると、シンゴの方を向いた。
「いつもこんな風に公園で小説の構想を練っているんですか?」
ユウキに問われて、シンゴは口籠る。ただぼーっとしていただけだったが、それを口にしてしまうのは憚れた。なんだか読者の夢を壊してしまうような気がして、申し訳ないような気分になったのだ。
「たまにね、こうやって、外の空気でも吸おうかな、と思うことがあるんだ」
シンゴはあたかも仕事のことを考えていたというような体で話し出す。折角の、数少ない読者の為についた嘘だった。
「やっぱり、すごいですね。モノを書くなんて、オレには到底無理ですよ。小学校の読書感想文で精いっぱいです」
「すごくはないよ。日本人なら誰でも日本語で文章が書ける」
自分の仕事のことを話すと、必ずと言っていいほど、読書感想文を引き合いに出されることが多かった。読書感想文が上手いからと言って、小説が書けるわけではなかったし、小説が書けるからと言って、読書感想文が上手いわけでもない。その証拠にシンゴは読書感想文で賞をもらったことなど一度もなかった。
次にシンゴがユウキに出会ったのは、あれから数日後のことだった。アスカは仕事に行き、部屋の片付けや洗濯を終えたシンゴは、気分転換にふらふらと近くの公園にやって来ていた。シンゴはベンチでぼーっと何の変哲もない景色を眺めているだけだった。人はほとんどいない。何かくれるんじゃないかと期待して鳩が数羽、シンゴの周りへ寄って来たが、何もくれないとわかると、愛想を尽かしたように一斉に飛び立って行った。
何かの相手をするほどの気力はシンゴには残っていなかった。家事をしただけで、体力と気力を奪われてしまう自分に溜め息をつきたくなる。
空は晴れ、時折、風に乗って雲が流れた。空を見ていると、自分がとってもちっぽけで、自分の仕事の悩みやアスカが浮気に走りそうだということがどうでも良いことのような気になった。それは嫌な気持ちが和らぐという意味では良いのかもしれないが、何も解決に導かれていない、ということを考えると必ずしも良いとは言い切れなかった。シンゴはそのことに気が付いて、はっする。思わず、今度は本当に大きな溜め息が口から零れた。
「どうしたんですか? 溜め息なんかついて」
突然、声が飛んできて、シンゴはドキリとした。声のした方を向くと、そこにはユウキが立っていた。
世の中にはいろんなタイプの人間がいるものだ、とシンゴは自分とは全く違うタイプの人間に出会うとよく思った。それはまるで異世界の住人よろしく、全くの別物に見えたのだ。同じ時代に生き、同じ言語を操るなどとは彼には到底思えなかった。
シンゴは生まれてこの方、一度も髪を染めたことがない。染めたいと思ったこともなかったし、染める必要性も感じなかったからだ。どうして、多くの人間が折角の黒髪を茶色に染めたいのか、理由も気持ちもわからなかった。だから、「今時」と言われる自分より若い人たちを見ると不思議な気持ちになってしまう。勿論、シンゴが若い頃から、茶髪にするのは当たり前のことだったし、茶髪じゃない方が逆に目立った時代でもあった。そんな環境にいたので、シンゴにとって、茶髪の人間を見ることは然して珍しいことではなかったけれど、その違和感だけは大人になった今でも拭いきれなかった。
ビニール袋に入った温かな弁当を提げながら、シンゴは元来た道を静かに戻る。それはいつもなんだかシンゴを寂しい気持ちにさせた。寂しさはシンゴに溜め息をつかせ、行き場のない気持ちを心の片隅に増殖させていった。シンゴは同じことを繰り返す日々にもういい加減、嫌気がさし始めていた。