小説「サークル○サークル」01-93. 「加速」

「今日はどういったご用件で?」
 アスカは罪悪感を覚えながらも平然と言った。マキコは俯いたまま、静かに口を開き始める。
「実は……調査の継続をお願いしたくて……」
 やっぱり、とアスカは内心思った。きっとこうなるだろう、と思っていた。浮気をやめさせたい、という気持ちが途中でなくなるはずがないのだ。マキコは以前、「浮気相手と別れても自分のところには戻ってこない気がする」と言っていた。けれど、シンゴに言わせれば、「女は全て浮気相手になりうる」という心配から、アスカとの接触さえも怖がり、依頼を取り下げることにしたのではないか、ということだった。
 シンゴの言うことが正しければ、彼女の中でアスカに対する不安が何らかの形で取り除かれたのか、はたまた、それ以上に浮気相手と別れさせる必要が彼女に出来たのかのどちらかだろう。少なくとも、後者には「子どもが出来た」という明確な理由がある。
「勿論、喜んで引き受けさせていただきます」
 アスカは出来る限り自然な笑顔をマキコに向けた。

小説「サークル○サークル」01-92. 「加速」

「どうぞ、こちらに」
 アスカは気まずそうに俯いているマキコに言った。
 マキコは言われるがまま、ソファへと腰をかける。アスカは紅茶を淹れる準備を始めていた。お湯を茶葉の入ったポットに注ぎ、アスカはきっかり三分待つと、ティーカップへと注ぐ。もらい物のクッキーを添えて、コーヒーテーブルの上に静かに置いた。
「どうぞ、召し上がって」
 アスカはマキコに勧めながら、自分も紅茶に口をつける。マキコはカップの中が赤い色をしていることに少し驚いたような顔をする。それを見たアスカがすかさず、「ルイボスティーよ」と言った。マキコはアスカを上目遣いで見上げ、小さく頷くと、再びカップの中身へと視線を落とした。
「大丈夫よ、ノンカフェインだから。身体にも優しいわ」
 アスカの言葉にマキコはほっとした表情を浮かべる。お腹の子どものことが気になっていたのだろう。マキコは紅茶を口にした。
 アスカはそんなマキコを見て、ふいにヒサシとのキスが脳裏を過ぎった。アスカは平静を装う為に、もう一度紅茶に口をつけた。

小説「サークル○サークル」01-91. 「加速」

 加速していく思いはいつだって、自分ではどうすることも出来ない。それをアスカは今までのいくつもの経験から知っていた。恋はいつだって、恋する自分を振り回す。それに抗える程、アスカはまだ年老いてはいなかった。
 会えない時間もついヒサシのことを考えてしまう。まだヒサシの唇の感触を覚えている。自分にはシンゴがいるけれど、シンゴとはもう随分と恋人のような関係ではなくなっていた。だから、余計にヒサシとのことが頭から離れないのかもしれない。得も言われぬ背徳感にただただアスカは、翻弄されているだけだった。
 事務所の窓からは暖かな陽射しが差し込み、アスカは一瞬目を細める。机の上にいつものように足をあげ、煙草の煙をくゆらすと、天井を見上げた。しばらく経って、アスカは肺いっぱいに煙草の煙を吸い込んで、一息に吐き出した。自分のしている行動の意味の無さに沸々と可笑しさが込み上げてくる。
 アスカが吹き出しそうになった瞬間、ドアが開いた。
慌てて、アスカは机から足を下ろし、煙草を灰皿に押しつけると、姿勢を正して椅子ごとドアの方を向いた。
「ご無沙汰しております」
 そこに立っていたのは少し膨らんだお腹が印象的なマキコだった。

小説「サークル○サークル」01-90. 「動揺」

 一体、どうやって、アスカの気持ちを取り戻そうか。シンゴはいつになく頭を使っていた。こんなに頭を使うのは、久々だと思った。それは普段小説を書くことにそこまで力を注いでいないということを意味していた。そんな自分の怠惰さに呆れながらも、シンゴは久々に懸命に思考を巡らせた。自分の妻を取られるわけにはいかない。
 アスカは明らかにターゲットに恋焦がれている。では、どうすれば、その恋は終わるのだろうか。それは簡単なことだ。ターゲットが元の鞘に収まればいいのだ。ふらふらとしている男が自分の戻るべき場所に戻れば、アスカを振り向くことはない。自分を振り向かない男に大抵の女は愛想を尽かすはずだ。
 実際、アスカは本当にターゲットを愛しているのだろうか。その点にも疑問が残る。普段は感じることの出来ないトキメキをターゲットがほんの少しアスカに与えただけなのではないだろうか。そう、錯覚だ。きっとアスカはほんの少しのトキメキを恋だと錯覚しているに違いない。
 不倫をするような男だ。アスカにだって、言葉巧みに近寄って来たのだろう。アスカはああ見えて、意外に純粋で恋愛経験が少ない。シンゴもそんなに多い方ではなかったが、アスカより恋愛経験がある自信はあった。
 ここはやっぱり――そこまで考えて、シンゴは一つ大きく頷いた。
 彼にはこの勝負に勝つ為の作戦があった。

小説「サークル○サークル」01-89. 「動揺」

「お風呂に入ってくる」
 アスカは食事を終えると、そう言って立ち上がった。食器を持って、キッチンへ行こうとする彼女を「僕が片付けておくよ」とシンゴが制した。アスカは「ありがとう」と言って、風呂場へと消えていく。その後ろ姿が完全に見えなくなったところで、シンゴは大きく溜め息をついた。
 アスカの様子がおかしいことは一目瞭然だった。シンゴにはだいたい想像がついていた。例のターゲットと何かあったのだ。アスカから他の男の匂いがしていなかったことや、ボディソープの香りがしていなかったことを考えると、男女の関係になった、ということは考えづらい。けれど、キスくらいならしていてもおかしくないだろう、とシンゴは踏んでいた。アスカが風呂からあがったタイミングで問いただすことも出来るが、それは得策でないということをシンゴはわかっている。アスカは頑なに否定するだけだ。シンゴはアスカに白を切りとおしてほしいわけではない。アスカの恋を阻止したいのだ。その為には作戦を練る必要がある。シンゴは覚悟を決めると、一つ大きく頷いた。


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