生活をしていると特別なことよりも、日常の当たり前の出来事の方が圧倒的に多い。いかに、その当たり前の時間を一緒に過ごして楽しいかが結婚をすると大切になってくる。
くだらないことでも話せて笑い合える方が、断然楽しい。そういうことに、シンゴは結婚してから気が付いた。
それはシンゴ自身、一度結婚に失敗しているから気が付けたことかもしれない。
アスカとジムの近くのパン屋の話をして、笑い合える。傍から見たらどうでもいいような、そんなことでさえ、シンゴにとっては、意味を持つ。それは相手がアスカだからだ。
シンゴは楽しそうに話すアスカを見ながら、自分にとっての幸せや結婚を考えていた。
「手が止まってるけど……口に合わなかった?」
アスカは心配そうにシンゴに訊く。
「いや、そんなことはないよ。とても美味しい。ちょっと考え事をしてしまっただけだよ」
「仕事のこと?」
アスカはすかさず問う。
「ああ」
シンゴは誤魔化す為に嘘をつく。
アスカのことを考えていたとは、さすがに言えなかった。
「仕事大変なのね」
アスカは心配そうに言う。
「そんなことないよ。アスカに比べたら、楽だと思うな」
「ううん、何もないところから作品を生み出すのって、想像が出来ないくらい大変なことだと思うの。私には出来ないことよ。本当にすごいと思うわ」
シンゴは素直に嬉しかった。自分の仕事を認めてもらえるということが、自分の存在価値を認められたような気がしていた。
「アスカは明日からレナに接触するの?」
「ええ、ジムの入会も終わったし、ジムに通いながら接触して、様子を見るつもり」
「仕事とは言え、ジム通いは健康の為にも良かったかもね」
「ふふ、そうかもしれないわね」
アスカはまた楽しそうに笑った。夫婦の会話が皆無だった、あの寒々しい雰囲気が嘘のようだった。
けれど、シンゴの脳裏にはいつだって、ヒサシのことが過ぎっていた。
アスカがこうやって、楽しそうに笑うのは、ヒサシの存在が関係しているかもしれない。そう思うと、胸の奥が痛んだ。
食事を終え、シンゴは自室にこもる。仕事をする為だ。書き出しから、いくらか進んでいた。今までのアスカと自分のことを書けばいいのだ。執筆に詰まるということは特になかった。
けれど、いつか執筆が現実に追いついてしまう。その時が問題だ。
そして、シンゴは事実をもっと詳細に知りたいと思うようになっていた。アスカはいつからヒサシと関係を持っているのか、何がきっかけでヒサシに惚れたのか、今後、どうするつもりなのか――。
そこまで考えて、シンゴは深い溜め息をつく。空しかった。
原稿を書く度に訪れる悲しみとも切なさともとれる、痛みを伴った感情は、シンゴの心を蝕んでいく。
シンゴは原稿を書く手を止めた。
パソコンの画面の明るさがやけに眩しく感じる。
「……そうだ」
シンゴは画面を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「……もう一度すればいいんだ……」
シンゴが思いついたのは、至極単純なことだった。
――そうだ、もう一度、尾行をすればいいんだ。
この答えが正しいかどうか、シンゴにはまだわからなかったけれど、シンゴにはそれ以外に方法はないように思えていた。
翌朝、アスカはジムで汗を流すと、レナの働くカフェへと向かっていた。アスカは今日何度目かの欠伸をかみ殺す。
さすがに久々の早起きはアラサーの身体には堪えた。しかも、その後、アスカを待っているのは、ジムのトレーニングマシーンだ。元々、文科系で運動とは無縁の学生時代を送って来た。そんなアスカがジムに通って、運動をすることになるとは、誰が予想出来ただろうか。アスカ自身、全く想像のつかない出来事だった。人生は何があるかわからないものたなぁ、としみじみ思う。これから、毎日この生活をしなければならないのかと思うと、アスカは憂鬱だった。
アスカはジムから数分の場所に位置するカフェへとやって来ていた。問題はヒサシと鉢合わせないかということだった。少しだけ緊張しながら、カフェの自動ドアの前に立つ。
「いらっしゃいませー!」
自動が開いた瞬間、笑顔で迎えてくれたのは、他でもないレナだった。
アスカは澄ました顔でレジへと向かう。カウンターにはドリンクメニューが置かれてあった。
アスカはしばしメニューを見つめる。ここで無難にコーヒーを頼んでしまっては、レナの印象に残る確率は低い。出来るだけ、他の客が頼まないようなドリンクを頼む必要があった。そして、これから毎日、そのドリンクを飲み続けなければ意味がない。
飽きがこなくて、尚且つ印象的なものを……と悩んでいると、ふとホワイトモカというドリンクが目に留まった。ホワイトチョコレートをベースにしたコーヒーだった。
「すみません、ホワイトモカを下さい」
アスカはメニューを指差しながら、オーダーする。
「かしこまりました。サイズはいくつになさいますか?」
「Mサイズでお願いします」
「店内でお召し上がりですか?」
「はい」
「450円です」
レナはテキパキと仕事をこなしていく。アスカはそんなアスカの姿に好感が持てた。ドリンクのオーダーを通したレナは、会計へと戻る。
「500円お預かりいたします」
そう言って、レナは500円をキャッシャーに入れ、50円を取り出すと、レシートともにアスカに差し出した。
「50円のおつりでございます」
レナは笑顔で言うと、少し離れたカウンターを指した。
「あちらのカウンターでお出ししますので、前でお待ち下さい」
「はい」
アスカもレナに笑顔を向けた。
アスカはカウンターでホワイトモカを受け取ると、喫煙席へと向かう。
ガラスで区切られたスペースに灰皿を持って行き、レナの姿がよく見える席を選んで、
ソファに腰を下ろした。アスカの他に客は1人しかいない。会社の就業時間内なので、こんな時間に店内でのんびりくつろげる人は少ないのは当たり前だった。
アスカはホワイトモカに一口、口をつけると、すぐさま煙草に火をつけた。ホワイトモカが思いの外、甘かったのだ。アスカは毎日飲む地震をなくしていた。
けれど、ゆっくり時間をかけて飲むことを考えると、これはこれで良いような気がしていた。
レナはどの客にも笑顔で接している。勤務態度は至って真面目で、嫌味など全くない。大きな瞳にふんわりしたボブヘアが女の子らしく、大抵の男なら、レナのようなタイプにはいとも簡単になびいてしまうような気さえした。
アスカはホワイトモカをちびちびと飲みながら、そのほとんどの時間を煙草を吸うことに費やしていた。
退屈だな、とアスカは思うけれど、レナの観察を怠るわけにもいかない。どんなタイプなのかをしっかり見極められれば、接触した時の攻略方法も自然と見えてくる。
アスカ煙草に手を伸ばす。けれど、煙草の箱は空になっていた。
「……」
からっぽの煙草の箱を見て、アスカは溜め息をついた。カップの中にはまだホワイトモカが残っている。
アスカはホワイトモカを一気に飲み干すと、飲み終わったカップを返却口へと持って行った。
「ごちそう様でした」
アスカが声をかけると、少し離れたところから、「ありがとうございました」という声が飛んできた。
アスカは初日の偵察を終えると、まっすぐに帰路へと着いた。
何かと疲れる1日だな、と内心ごちた。
アスカが帰宅すると、シンゴが夕飯の準備をしていた。
「ただいま」
アスカが言うと、キッチンにいたシンゴが漸く気が付いたようで、キッチンから少し顔をのぞかせた。
「おかえり。あともう少しで夕飯出来るよ」
シンゴは笑顔でアスカを出迎えた。
「うん、ありがとう」
アスカはそう言うと、コートを部屋にかけに行く。
アスカはなんだか最近の自分とシンゴの関係に不思議な安心感を得ていた。それは今まで感じたことのない安心感だった。
けれど、アスカがそういった安心感を得られているのは、ヒサシの存在が大きいこともわかっていた。ヒサシとの一件があってから、罪悪感からシンゴに対する態度が自分でも優しくなったと自覚していた。そんな時、シンゴが仕事にやる気を出し、会話が増えた。いろんなことが重なった結果だったが、それが良かったのか悪かったのか、アスカにはわからない。ただ夫婦関係を立て直すという意味では良かったと言える。しかし、アスカの恋心から見れば、それは良いことだとは言い切れなかった。ヒサシへの想いが募っていくのに、シンゴと関係が良くなれば、万が一、ヒサシの下へ行くことになった時、シンゴを必要以上に傷つけてしまうことになる。それはあんまりにもひどい仕打ちのような気がしていた。
アスカはバーの仕事を辞めてから、ヒサシには会っていない。ヒサシと会っていたのは、接触が目的であり、その接触は仕事だった。その為、アスカは積極的に動くことが必要だったし、動くことが出来た。自分の恋心だけで接触を試みようとしていたのであれば、結婚していることがちらつき、きっとアスカは躊躇したに違いない。
アスカにとって、ヒサシはターゲットであると同時に、気になる存在だ。けれど、それを表に出すことも出来なければ、ヒサシに打ち明けることも出来ない。
ヒサシに誘われた時、もしヒサシの誘いに乗っていたら……そう思うことも正直あった。考えること自体がナンセンスだということはわかっているけれど、それでも考えてしまう。それくらい、アスカの心は未だヒサシに傾いていた。
勿論、アスカは冷静さを忘れてはいない。だからこそ、シンゴとの関係を修復しようともしているし、ヒサシと唯一接触できるバーも必要がなくなれば、すぐさま辞めた。そうした判断をした自分を見て、アスカは仕事とプライベートの線引きが自分には出来るということに安心していた。仕事とプライベートの境目が曖昧になった時、そのどちらも上手くいかないのだということをアスカは経験から知っていたからだった。
「夕飯出来たよ」
シンゴの声がキッチンの方から聞こえる。自分がどれだけクローゼットの前でぼーっとしていたかを思い知らされた。アスカは自分が思っている以上に、ヒサシのことを気にしている。ターゲットだということを頭では理解していたが、心の方が言うことを聞かないらしかった。
アスカは溜め息をつくと、リビングへと向かった。
リビングに行くと、ガーリックのいい匂いが漂ってくる。
「今日の夕飯は?」
アスカは席に着きながら言う。
「今日はカルボナーラだよ。アスカ好きだろ?」
シンゴは卵を黄身だけにする作業をしながら言う。
「うん、ありがとう」
アスカは答えながら、カルボナーラが好きだったのは、数年前だったんだけどな……と心の中で思う。好きは好きだが、ここ最近のアスカはカルボナーラを食べなくなった。年と共に、胸やけを起こすことがちらほらあったからだ。しかし、シンゴはその事実を知らない。シンゴとの距離は一時より明らかに縮んではいるが、それでもまだとても近いところにいるわけではないのだとアスカは痛感していた。
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シンゴにジムに通えばいいと言われたものの、アスカは戸惑った。
「何か不都合でも?」
シンゴに問われ、アスカは渋い顔をする。
「ジムに通う時間はないし、費用的にもしんどいわ」
「どうにか捻出出来ないの?」
シンゴの言葉にアスカはしばし考え込む。シンゴは静かにアスカの言葉を待った。アスカは溜め息をつくと、話し出す。
「私が直接関わってるのは、この依頼だけだけど、所長として目を通さないといけない書類もあるわ」
そう言って、アスカは肩をすくませた。
「でも、オフィスビルの社員を演じるには、いささか無理がある。君の面が割れていないのなら、話は別だけど、そういうわけでもないだろう?」
「それはそうだけど……」
アスカは視線を落とした。シンゴも別に何かいい方法はないかと考えを巡らすけれど、良さそうなものは何も浮かばなかった。
「ジムに時間を取られるってことは、その分、何かの時間を削らなきゃいけないってことなのよ。今はぴったり時間を使い切ってるもの、無理だわ」
きっぱり言い放つアスカに、シンゴはにっこりと微笑んだ。
「それなら、いい方法がある」
「えっ?」
アスカはシンゴの言っている意味がわからず、眉間に皺を寄せた。
「いい方法?」
アスカは怪訝な表情を浮かべたまま、シンゴを見た。シンゴは笑顔を崩さぬそのままで説明し始める。
「そう。いい方法。時間を作らなきゃいけないなら、今まで通り、僕が家事をやればいい」
シンゴの言葉にアスカは再び眉間に皺を寄せた。
「でも、シンゴだって、仕事が忙しいでしょ?」
「忙しいけど、僕の場合は家にいられるし、君ほど、忙しくもないよ」
「でも……」
「この案件が終わるまで、っていう期限付きなら、君が気にしていることもクリア出来ると思うけど」
アスカはシンゴの提案について、じっと考え込む。アスカの頭の中を様々な考えが過ぎった。シンゴの仕事の邪魔をしたくない、シンゴに負担をかけたくない、だけど、受けた依頼は成功させたい――考えれば考えるほど、何を優先すべきかがわからなくなっていく。
「そんなに悩むことじゃないと思うけどな。期間限定なわけだし」
シンゴは柔らかな笑みを浮かべて、アスカを見る。アスカはその微笑みに思わず「ありがとう」と言っていた。
「それじゃあ、決まりだね。取り敢えず、ジムの入会申し込みをしなくちゃいけない」
「そうね、今日の夕方行ってくるわ」
「バーの仕事は辞めてしまったわけだから、設定上、別の仕事に就く必要がある」
「でも、私が演じられて、バレそうもない仕事なんて、別れさせ屋くらいしか思いつかないわ」
アスカは不安げな表情を浮かべ、シンゴを見た。
「それなら、問題ないよ。別れさせ屋だって答えればいい」
「ターゲットの不倫相手よ!? そんなこと出来るわけないじゃない」
「自分とその不倫相手をターゲットにしている別れさせ屋が、自分から別れさせ屋だって明かすなんてことはないだろう? 裏をかくんだよ。きっと相手は油断する」
「そんな……リスクが高すぎるわ」
「リスクは高いかもしれない。でも、レナのプロフィールを見る限り、その方が効果的だと僕は思う」
自信に満ちた表情でシンゴは言う。アスカはそんなリスクの高いことは出来ないと思いながらも、シンゴがそこまで言うのなら、大丈夫なのではないかと思っていた。
「……わかったわ。シンゴがそこまで言うなら、それで行きましょう。詳しい設定は帰宅後に見せて」
アスカはシンゴの瞳をじっと見つめてそう言うと、パスタを再びフォークに巻き始めた。パスタはもうすっかり冷めてしまっていた。
シンゴは内心、不安でしょうがなかった。アスカには自信のある素振りで話をしたが、裏をかいても成功する保証はない。実際にレナと会ったこともないのだから、その方法が効果的なのかも、実のところ定かではなかった。
しかし、シンゴがあんな言い方をしてしまったのには、理由があった。一つはアスカに頼りになる男だと思ってもらいたいという虚栄心の所為だ。そして、もう一つは、作家としての意地だった。
作家自身が作り出した架空の人物とは言え、小説では登場人物の人生を描くのだから、一般の人に比べれば、人間観察をしている時間も多いし、観察眼だって鋭いとシンゴは思っている。否、鋭くなければ困るのだ。それは仕事上の不便というよりは、プライドに起因する部分が大きい。
「後片付けは僕がやっておくよ」
アスカの空になった皿を見て、シンゴは言った。
「ありがとう」
アスカは笑顔で礼を言うと、まだ食べているシンゴの顔をまじまじと見た。
「どうかした?」
「なんだか、ちゃんとシンゴの顔を見ていなかった気がして」
「顔を合わせてるのに?」
「うん、そういうことじゃなくて。何でもないわ」
アスカは苦笑して、コップに手を伸ばした。
食事を終えた後、アスカは身支度をして、仕事へと出掛けた。帰りにそのままジムの入会申し込みをしてくるそうだ。
シンゴはパソコンの前に座り、電源を入れ、立ち上げる。アスカが帰ってくるまでに、設定を作り直す為だ。
いつも通り、文章を作成していく。
大方、設定が出来上がったところで、ふとターゲットのことが過ぎった。
今、こうして、自分が設定を作っている間にも、アスカとターゲットは会っているのだろうか。そう思うだけで、シンゴの胸の奥は予想をはるかに超える痛みを訴えた。シンゴはこんなことを考えることにも慣れたと思っていたし、ある程度の諦めもついているような気でいた。
しかし、本当はそんなことはない。ただただアスカに自分だけを見ていてもらいたいのだ。
ふいにアスカが食事中に言った「なんだか、ちゃんとシンゴの顔を見ていなかった気がして」という言葉を思い出していた。
シンゴはアスカがどういう気持ちで言ったのかを考えて、溜め息をついた。
同じ家にいるから、そこにいるのが当たり前で、そこに存在しているという事実しか確認していなかった、とアスカは言いたかったのでないか、あれは後悔の一言なのかもしれない、とシンゴは思った。
アスカはターゲットと後戻りの出来ない関係になってしまった。けれど、最近、シンゴとちゃんと向き合うようになり、シンゴの良さを改めて確認し、今度はシンゴをないがしろにして、ターゲットに走ってしまったことを後悔し始めている――それが、シンゴが導き出した答えだった。
シンゴはさっきよりも深い溜め息をつくと、作り上げた設定をざっと読み直し、誤字脱字がないことを確認する。プリンターの電源をオンにすると、プリントアウトし、再びその原稿に間違いがないか確認した。
一つのテーマについて、ずっと考えていると、気持ちは荒んでくるし、いい方向になど何一つ考えられなくなってくる。やがて、ドツボにハマり、自分を苦しめていく。そして、そういった重たい空気は相手にだって、いつしか伝わってしまう。けれど、それ以上にシンゴはあることを心配していた。それは、あの日の夜見たことをアスカに言ってしまうのではないか、ということだった。
アスカの後をシンゴがつけていたなんてことがアスカにバレれば、軽蔑されたって仕方がない。アスカの性格上、「私が不安にさせてしまったのね。ごめんなさい」なんてしおらしいことを言うタイプではないことは、シンゴが一番よく知っている。
アスカが浮気をしていて、尚且つ、シンゴがアスカの後をつけていたことがわかれば、離婚は免れないだろう。離婚はシンゴにとって、最悪の結末だ。その最悪の結末を回避する為に、シンゴは今必死でアスカの仕事に協力し、仕事にも精を出している。
動機は不純かもしれないけれど、そのくらいシンゴにとって、アスカはかけがえのない存在だった。
シンゴはプリントアウトした原稿を持って、リビングへと向かう。ソファの前にあるローテーブルに置くと、ゆったりとソファに腰をかけた。足を組み、テレビをつける。テレビにはワイドショーが映り、大物演歌歌手のスキャンダルが取り沙汰されていた。ぼんやりとしたまま、テレビに視線を向けていると、シンゴはうつらうつらとし、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。
シンゴが目を覚ますと、夕飯の匂いが鼻先をついた。目を開け、光を感じると、視界が開ける。ぼんやりする頭のまま、キッチンに目をやると、そこには髪を束ね、エプロンをしているアスカの姿があった。
「ごめん……。寝ちゃってたみたいだ」
シンゴはソファからアスカに声をかける。
「いいのよ。疲れていたんでしょう?」
アスカは微笑む。その笑顔にシンゴはじんわりと込み上がる幸せを感じていた。
「仕事は終わったの?」
「ええ。ちゃんとジムにも入会して来たわ」
「じゃあ、あとは、レナと接触すればOKってこと?」
「そうなるわね」
アスカは調理中の料理から視線を外さずに、シンゴに答える。
「レナと接触して、ターゲットと別れさせたら、今回の仕事はやっと終わるわ」
その一言に、シンゴはドキリとした。この仕事が終わったら、アスカはどうするつもりなのだろう、と思ったのだ。アスカはシンゴを捨て、ターゲットと付き合うつもりだろうか。それとも、ダブル不倫をやってのけるつもりだろうか。
仕事が終われば、これっきりとなればいいけれど、そんな生易しい現実が待っているとはシンゴには到底思えなかった。
「もうすぐ出来るから、顔でも洗ってきたら? なんだか眠そう」
アスカは鍋から目を離すと、シンゴの顔を見て言う。
「……うん、そうだね」
シンゴはソファから立ち上がると、アスカに言われた通り、洗面所へと向かった。
冷たい水で頬が濡れる。じゃぶじゃぶと顔を洗うと、フェイスタオルで水を拭った。冷たさから解放されて、なんだかほっとする。そのまま、シンゴは顔を上げた。
洗面台の鏡に映る自分を見て、思わず溜め息をつく。ちっとも冴えない顔をしていたからだ。
こんな冴えない自分とアスカが釣り合うわけなんてない、とシンゴは思う。けれど、一度はそんな自分でも好きになってもらえたのだから、たとえアスカの気持ちがターゲットに移ろっても、もう一度好きになってもらうことは出来るはずだ、とも思う。
しかし、一度こぼれた水が元に戻らないように、一度壊れた夫婦関係が元に戻ることはないようにも思えた。
堂々巡りの想いに、シンゴはどう向き合っていいのか、次第にわからなくなりつつあった。
洗面所からリビングへ戻ると、アスカがテーブルに食事を並べていた。今日はクリームシチューだった。
「ちょうど今出来たところよ。座ってて」
アスカは手際よく、食卓にサラダやパンを並べる。シンゴは席に着くと、甲斐甲斐しく働く妻の姿をまじまじと見た。
「これで全部揃ったわね」
テーブルに並べられた料理を見て、アスカは小さく頷くと、椅子に座った。
「食べましょうか」
アスカに笑顔で言われ、「ああ」とシンゴは答えた。
「いただきます」
二人で声を揃えて言うと、アスカとシンゴは食事に手をつけた。
「そうそう、このパン、今日ジムの帰りにパン屋さんで買って来たの。すごく美味しいって有名みたい。雑誌でも取り上げられたことがあるんですって」
アスカは嬉しそうにパンの説明をする。
「へぇ、そんなパン屋があの辺にあるなんて知らなかったなぁ」
シンゴは言いながら、パンに手を伸ばした。
一口サイズにちぎり、ぽんっと口に放り込む。ふんわりとした食感とパンの甘味が口いっぱいに広がった。
「有名店だけあるね。美味しいよ」
「良かったぁ」
アスカは柔らかな笑顔で応えた。こんな笑顔をずっと見ていたいとシンゴは心の底から思った。何気ない日常にこそ、幸せはあるのだな、とシンゴは痛感していた。
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アスカはシンゴと話す為に身体を少し前に乗り出す。
「この間までバーで働いていたでしょう? あの時にターゲットがこの女の子を連れて来てたのよ」
「アスカとこのレナって子は、面識があるってこと?」
「向こうが私を覚えていない可能性もあるから、そこはなんとも言えないんだけど、接触はしてる。もし私のことを覚えてたとしたら、いきなりカフェの店員になって現れたら、怪しまれると思う」
「そうだね……。チェーン店なら、飲食店の派遣はあるだろうけど、アスカの働いてたバーは個人経営だろ?」
「あれ……。私、シンゴにどんなバーで働いてるか言ってたっけ?」
「い、いや……そんな気がしただけだよ」
しどろもどろになるシンゴにアスカは小首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。きっと、書いている小説のこととでも、混乱しているのだろう、とアスカは流すと話を元に戻す。
「それでね、このレナって子に接触するにあたり、私はこのカフェの常連になろうと思うの」
「このカフェの?」
「そう。ただ、1つ問題があるのよ」
「どんな?」
「ここのカフェ、ターゲットの働くオフィスビルの1階に入ってるの。勿論、このビルに勤めてる人間以外も使ってるわ。だから、私が使うのはおかしなことじゃない。だけど、いきなり常連になるにはそれ相応の理由が必要なのよ」
「レナと接触した時の説明用にってこと?
「その通り。さすが、作家だわ」
アスカの一言にシンゴは照れ笑った。
「それで僕に相談したいことっていうのは何?」
「レナに接触する時の私の設定を作ってほしいの」
「設定?」
「ええ。要するに、私は登場人物Aを演じるってこと。私としてじゃなく、登場人物Aを演じて、レナと接触して、仲良くなるつもり」
「今までもアスカとしてではなく、別人としていろんなターゲットに接触してきただろう?」
「それはそうなんだけど、今回はかなり作り込まないと難しそうなのよ。環境も特殊だし。素性を曖昧に出来るような環境じゃないから。だいたい、OL経験なんてないし」
「なるほどね……。よし、わかった。僕が作ろう」
「本当に!?」
「ああ。そんなに喜ぶなんて、意外だな。僕が断るわけないって、思ってただろう?」
「ううん。シンゴ、最近、仕事忙しそうだから、作ってもらうの無理かなって思ってたの」
「アスカの頼みを断るわけないじゃないか」
そう言って、シンゴは微笑んだ。そして、アスカはほっと胸を撫で下ろす。
これで第一関門は突破出来ると思った。シンゴが設定を作ってくれたら、あとはその設定を完璧に覚え、そういう人間を演じればいい。高校時代演劇部に所属していたこともあるアスカは、演技にはそれなりの自信があった。
食事を終え、シンゴは書斎に戻ると、アスカから預かった書類に再度目を通した。
「大学3年生、20歳、母親と2人暮らし、か……」
シンゴはレナのプロフィールを見て、溜め息をついた。父親がいなければ、年上の男性を求めるのは仕方がないことだ。けれど、相手が既婚者なら、仕方ないでは済まされない。
「カフェでバイトしてて、常連だったターゲットと次第に惹かれあって、そのまま関係を持ってしまった……ってところかな」
シンゴは思いついたことを口にする。彼の仕事の最中の癖だった。声に出した方が頭の中が整理出来て、考えがまとまりやすいという理由で、この仕事を始めてからずっとこのスタイルを取っていた。
シンゴはパソコンに向かうと、設定を書き始める。基本的なアスカの情報はいじらず、アスカの基本情報に新たな項目を肉付けしていくような形で設定を作り上げていく方法を取ることにした。
その作業は普段の小説を書く手法とはいささか違ったが、これはこれで面白いとシンゴは感じていた。
翌朝、シンゴがリビングに行くと珍しくアスカがいた。
「おはよう」
アスカがソファに座ったまま、笑顔を向ける。
「おはよう」
寝ぼけたまま、シンゴはアスカに言うと、洗面所へと向かった。顔を洗い、ひげをそると、再び寝室に戻り、洋服へと着替える。
そして、もう一度、ソファに座るアスカに「おはよう」と言った。
「珍しいね、君がこんな時間に家にいるなんて」
「今日は朝から事務所に行っても、する仕事がないの。だから、家にいるのよ。コーヒーでも飲む?」
「ああ、もらおうかな」
こんなやりとりをしたのはいつ振りだろう、とシンゴは記憶を遡る。しかし、思い出せなかった。
家事はいつもシンゴがやっていたし、アスカからこういった類の優しさを向けられることは、ここ数年なかった。それだけ、アスカと関係性にヒビが入っていたということだ。
けれど、皮肉なことにアスカが浮気をしてから、シンゴとアスカの仲は急激に温かくなったのだ。そして、シンゴも今になって、夫婦の関係性について考えるようになっていた。
キッチンにいるアスカを見るだけで、シンゴはなんだか幸せな気分になった。自分の奥さんが自分の為にコーヒーを淹れてくれる。たったそれだけのことなのに、こんなに嬉しいと思うなんて、こんなに感謝をするなんて、思ってもみなかった。
きっと結婚していれば、そんなの当たり前だよ、と思われてしまうようなことでも、シンゴにとっては新鮮だった。どれだけ、自分たち夫婦がイレギュラーな環境下の中で、それでも愛想をお互い尽かさずにやって来ていたかを思い知った。
シンゴは今になって思う。自分たちは夫婦ではなかった。ただの同居人に過ぎなかったのだ、と。だからこそ、夫婦らしいちょっとした会話や行動にでさえも、思わず笑みがこぼれた。
「お待たせ」
アスカはキッチンから戻ってくると、コーヒーの入ったマグカップをシンゴに渡した。
「ありがとう」
シンゴはそれを笑顔で受け取る。
こんな毎日が続けばいいのに――そう、シンゴは思ったけれど、口には出せなかった。
「昨日のプロフィールのことだけど」
シンゴはコーヒーを一口飲むと、アスカから頼まれていた仕事のことを切り出した。
「いつ頃、出来上がりそう?」
「もうほとんど出来ているから、明日には渡せると思うよ」
「ホントに?」
アスカは嬉しそうに言った。
「シンゴって仕事、早いのね」
「そんなことないよ。このくらい、普通だって」
アスカに褒められることに、シンゴは弱かった。アスカが自分のことを褒め、尚且つ喜んでくれているのだ。これほどまでに嬉しいことはないとさえ思った。
けれど、アスカは浮気をしている。そう思うと、複雑な気持ちになった。
アスカが優しいのだって、浮気の罪滅ぼしだと考えれば、手放しで喜ぶことも出来ない。けれど、「優しい」という事実だけを見れば、十分、幸せなことだとも思う。どこに焦点を当てるかで、幸せなのか不幸なのかが変わるのだ。
シンゴは出来るだけ、アスカの浮気について考えないようにした。せめて、一緒にいる時くらい、幸せを噛み締めたいと思ったのだ。
シンゴは書斎にこもり、プロフィールに色々な情報をつけ足していた。わざとらしくならないように、だけど、しっかりとこだわりを持って、作り上げていく。これはシンゴが自分の作品の登場人物を作る時と同じだった。
シンゴにとって、一度作った登場人物は小説の中のキャラクターというよりは、実在している人物に近い存在だった。それは彼が登場人物を作る時に、その人物の過去を作り込むからだろう。こういうことがあったから、こういう発言をするような性格になっていった。こんな経験をしたから、こういう対応を自然と出来るなど、彼の作り出す登場人物は、生きている人間同様の経験と理由、過去が用意されていた。だから、その登場人物たちが何かを言われた時、どのように返すかと問われれば、「多分、彼はこんな風に言うのだと思います」と伝聞形式でシンゴは答えた。彼にとって、登場人物は一度生まれてしまえば、自分の作り出したキャラクターではなく、生きている第三者となんら変わりない存在へとなる。
けれど、その感覚を理解してくれ、というのはなかなか難しい。だから、シンゴはアスカにそんな話をしたことはなかった。でも、今はそんな話をアスカにするのも悪くないかな、と思っている。もしかしたら、今回のアスカの元に舞い込んできた仕事は自分たちに良い何かをもたらすのではないか、とさえ思っていた。――アスカの浮気を除いてだが。
昼ご飯の時間になり、リビングへと向かうと、美味しそうな匂いが立ち込めていた。ふとキッチンに目を遣ると、エプロン姿のアスカが何かを作っているようだった。
「何か作ってるの?」
シンゴの声に顔を上げると、アスカは微笑んだ。
「ちりめんじゃこのペペロンチーノよ。もうすぐ出来るわ」
アスカの言葉に少し驚きつつも、シンゴはソファに腰を下ろし、テレビをつけた。
テレビではお昼の生放送番組が最新のトレンド情報を流している。流行に疎いシンゴは初めて聞く言葉ばかりで、さっぱり意味がわからなかった。仕事柄、こういった流行にも敏感でなければいけないのにな、と思ったが、興味のあることではなかったので、いまいち、集中して聞く気にはなれずにぼーっと画面を眺めていた。シンゴはしばらくザッピングして、自分の好みの番組がないことがわかると、テレビの電源を切った。
「出来たわよ」
アスカはテーブルにちりめんじゃこのペペロンチーノを運ぶ。シンゴはソファから立ち上がると、席に着いた。
食事が半分くらい済んだ頃、シンゴは思い出したかのように口を開いた。
「頼まれてたプロフィール、出来たよ」
「ホントに?」
アスカは驚く。パスタを巻く手を止め、空いている左手を口元に持っていく。そのしぐさの端々に嬉しさが見え隠れしていた。
「こんなに早く出来るなんて、思っても見なかったわ」
「あのくらいなら、そんなに時間はかからないよ。食事が終わったら、確認して。一応、アスカの基本的な部分は変更せずに情報を付け足した形を取ったから、多分、無理なく、使えると思う」
「ありがとう。あとは私がしっかり設定を覚えて、レナに接触して、ターゲットと別れさせればOKってことね」
アスカはフォークにパスタを巻き直しながら言う。
「そうだね。でも、大丈夫なの?」
「何が?」
アスカは不思議そうにシンゴの顔を見た。
「オフィスビルのカフェってことは、ターゲットとアスカが鉢合わせることもあるんじゃない?」
「それは大丈夫よ。時間をずらして行くから。私は朝の混雑時間と昼の混雑時間の間に行くつもり。テイクアウトじゃ印象に残らないから、お店で一杯飲んで出てこうかなって」
「でも、それっておかしくない?」
「なんで?」
「会社の就業時刻って、どこも大抵同じだし、昼休憩だって大した差はないはずだよ。なのに、どうして、アスカだけそんな時間に来られるんだろうって疑問が出て来ると思う」
「言われてみれば……」
アスカは眉間に皺を寄せて、頬杖をついた。
「でも、どうすればいいんだろう……?」
「それ相応の理由があればいいと思う。オフィスビルの社員だと怪しいから、自営業ってことにすればいいんじゃないかな」
「要するに、今の私のまんまってこと?」
「そういうこと。だけど、そのカフェに通う理由が必要になってくるんだよな……」
シンゴは腕を組み、思考を巡らせる。オフィスビルのOL設定が使えなくなった以上、もっとしっくりくる設定を考える必要がある。いかに矛盾のない設定にするかが、ポイントだった。
「そうだな……。近くに何か習い事出来るような場所はない?」
「ちょっと待って。今、地図見るから」
アスカはスマートフォンを取り出すと、地図のアプリをタッチした。すぐに住所を入力し、周りに何があるかを調べ始める。
「オフィス街だから、周りは会社ばっかり……。あとは飲み屋が並んでて……。あっ……」
「何かあった?」
「ジムがあった」
「それだ!」
「えっ……?」
きょとんとしているアスカにシンゴは自信満々に言った。
「ジムに通えばいいんだよ」
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アスカの別れさせ屋としての勘が外れていて、ただ単にアスカの嫉妬心を煽るだけの為にヒサシがあの女をつれて来たのかもしれない、とほんの一瞬アスカは思った。思ったというより、そう思うことによって、自分が傷付かないようにしているのだ。あんな若い女の子に自分が勝てるとは到底思えなかったからだ。
コースターに視線を落とし、しばし見つめる。かけてしまおうか、と思ったものの、何も出来ずにアスカはコースターをゴミ箱に捨てた。
けれど、ヒサシの番号はしっかりと目に焼きついていた。いつだって、コールをすれば、ヒサシが出る。ヒサシが出れば、わざわざこの店でなくとも、ヒサシと繋がることが出来るのだ。
そこまで考えて、アスカはかぶりを振った。自分の浅はかな考えに思わず苦笑する。あくまで自分がしているのは仕事であって、恋愛ではない。何度同じ問答を繰り返したら、心が揺れずに済むのだろう、とアスカはふと思う。そして、アスカは知っていた。会わなければ次第に恋心は薄れていく。だったら、接触さえしなければいいのだ。
アスカは深呼吸をすると、マスターの元へと向かった。
シンゴはさえない顔をして、公園のベンチに座っていた。冴えない男の前には鳩すら寄ってこない。遠くで群れをなす鳩に視線を投げかけ、シンゴは溜め息をついた。
あぁ、また幸せが逃げた、と思うけれど、溜め息を止めることは出来なかった。
仕事は順調だ。小説をこんなにすらすら書ける日が来るなんて、夢にも思いはしなかった。まだなんだか夢の中にいるような気さえしていた。
シンゴにとって、仕事が軌道に乗り始めるということは。自分にとってもアスカにとっても良いことだというのはよくわかっている。アスカの嬉しそうな顔を見ていると本当に良かった、とも思う。
けれど、シンゴはそういった類の喜びに浸れず、ただただ溜め息をつき続けていた。
アスカの浮気のことが気になって仕方がないのだ。一時期は仕事さえ手につかなくなりかけた。しかし、仕事には締切もあるし、何よりアスカの浮気のことばかり考えていたら、気が狂いそうになってしまう。
嫌な考えを払拭しようと、シンゴは仕事に打ち込むようになっていった。
「ねぇ、今、いい?」
アスカがシンゴの仕事場である書斎にやって来るのは珍しかった。シンゴは面食らいつつも、「ああ、いいよ」と彼女を迎え入れる。
「今までしてたバーでの仕事辞めたから」
「えっ……」
想像もしていなかったアスカの言葉に、シンゴはそれ以上の言葉が出てこなかった。
「もうバーでやらなきゃいけないことは終わったの。依頼主から別れさせてほしいって頼まれてた浮気相手もだいたいの検討がついたし、潮時かなって」
「ああ、そうなんだ」
潮時という言葉に引っかかったが、シンゴは顔には出さなかった。
「だから、これから、夕飯は私が作るわね」
「えっ、でも……」
「シンゴも仕事忙しいでしょ。他の家事は任せっぱなしだし、夕飯の用意くらい私にやらせて」
「ありがとう」
「じゃあ、お仕事頑張ってね」
そう言って、アスカは出て行ってしまった。一人残されたシンゴは椅子の背もたれに大きく寄りかかった。シンゴの口から溜め息が零れたのは、それから数秒後のことだった。
シンゴはアスカの言葉を一人反芻する。どうしても、「潮時かなって」という一言が引っかかって仕方なかった。決して、良い意味ではないようにシンゴには思えた。
彼は椅子の背もたれに寄りかかったまま、パソコンの画面を遠くから見据える。次に入力される文字を待ちながら、点滅するラインをじっと見つめた。
アスカの今までの仕事振りを見ていると、アスカがバーを辞めた理由が、バーでの情報収集が終了したからというのは嘘ではないだろう。けれど、あれだけ、ターゲットに入れあげているアスカが何事もなく、バーを辞めるだろうか。シンゴが引っかかっているのはその点だった。
きっとターゲットと何かしらの接点をバー以外で持てたから、バーを辞めたに違いない。シンゴはそう踏んでいた。
やはり、浮気を継続して、自分とは別れるつもりなのだろうか。そう考えるだけで、シンゴは遣る瀬無い気持ちでいっぱいになる。そんなことは今すぐ思い止まってほしい。けれど、そんなことを言える立場ではないことはシンゴ自身が一番よくわかっていた。
きちんと作家として、仕事をし、収入を得た上で考え直してほしいと言わなければ、なんの説得力もないだろう。だが、今ここで思い止まらせなければ、アスカはどんどんどつぼにハマっていくかもしれない。
それにアスカが異様に優しいことも不安材料の一つだった。アスカが自分から夕飯を作ると言い出したのだ。一緒に暮らしてきて今まで一度だったそんなことはなかった。勿論、シンゴが作家としての仕事をしていなかったから、というのは大いに理由としてはあるだろう。しかし、たかが少し仕事を始めたくらいで、手のひらを返したように態度が変わるものだろうか。
アスカが急に優しくなったのは、きっとやましいことがあるからだ。シンゴはそう思った。思ったけれど、まさかそんなことを口にするわけにもいかない。
アスカが夕飯を作ってくれることは、アスカの浮気さえ疑っていなければ、嬉しいことなのだ。
一体、どうすればいいんだ……。
シンゴは何度も同じ言葉を心の中で繰り返した。繰り返しても繰り返しても一向に答えは見当たらない。現実は小説よりもよっぽど残酷だ、と感じるのはこんな時だった。
翌日、アスカは事務所でいつものように煙草をふかしながら、机の上に足を上げ、書類と睨めっこをしていた。
「さーて、どうするかな……」
書類に目を通したのは一体何度目だろう、と思いながら、アスカはまた最初から書類に目を通し始めた。
アスカの持っている書類はマキコが言っていたヒサシの浮気相手の個人情報だった。
アスカの勘は見事に的中していたのだと、写真を見てアスカが安堵の溜め息をついたのは、今日の朝だった。
どうしても別の案件の確認で手が離せなかったアスカは、所員に浮気相手の勤めているカフェのスタッフを調査するように指示を出していた。そして、アスカの睨んだ通り、そのカフェのスタッフの中に、見事ヒサシが連れて来ていたあの女がいたのだ。
「こういうのがタイプだったとはねぇ……」
煙草をふかしながら、アスカは一人ごちる。
女の名前はレナと言い、現役大学生だった。最近、二十歳になったばかりなのか、と誕生日を見て、アスカは驚く。年齢の割に落ち着いているな、と思った。
アスカは目の前の書類に何度も目を通す。次に自分がしなければならないことは、ただ一つ。レナとの接触だ。接触して、ヒサシとの不倫をやめさせる方向へともっていかなければならない。ヒサシの行動パターンや性格はある程度把握している。その情報を元にレナにどのようなアプローチをかけるかを随時判断するのだ。ここが一番の山場だと言える。
レナが不倫をしていることをどう思っているのかによっても、別れさせる方法は異なってくる。大概の場合、浮気相手は不倫を悪いことだとあまり思っていないことが多い。不倫をしている女の多くは、奥さんと彼氏が別れることを願っているのだ。奪えるものならすぐにでも奪いたい、そうと思っているのが大半だ。
けれど、時に罪悪感に苛まれながら、不倫をしている女もいる。ごく少数と言っていいが、そういった女の場合、前者よりもいくらか簡単に別れさせることが出来る。
「どうするかなぁ……」
アスカは煙草の吸殻を灰皿に押しつけて、溜め息をつく。彼女はしばらく思案した後、紅茶を淹れる為に席を立った。
キッチンで紅茶を淹れると、はちみつをたっぷりと入れる。身体が甘い物を欲しているんだな、と思い、いかに疲れが溜まっているかを痛感した。きっと慣れない料理なんかしているからだ。けれど、シンゴが仕事を頑張ってる今、家事をしないわけにはいかない。シンゴのやる気をそぐようなことだけはしたくなかった。
紅茶を飲みながら、これからの仕事の進め方を考える。まずはレナとどうやって接触するかだ。一番楽なのは、カフェにアルバイトとして入り、バイト仲間になってしまう方法だ。しかし、すでにバーで対面を果たしている以上、その方法は取れない。
他の方法は残り二つ。一つはカフェの常連となること。もう一つは別の場所でレナと接触することだ。
アスカはどちらの方法を取るか悩んだ。
レナの働いているカフェはオフィスビルの一階に入っている。そのカフェを利用する常連になるには、そのオフィスビルで働いていなければ怪しいし、バーで働いていた人間がそんな場所に突如現れればおかしいと思われるかもしれない。
レナとは一度しか会っていないから、レナがアスカの顔を覚えていない可能性もゼロではなかった。けれど、物事を自分の都合の良いように考えるのは一番危険だ。
カフェ以外の場所でレナと接触する方がいくらか自然だし、偶然の再会をきっかけに話が盛り上がり、仲良くなりやすいとも思った。
けれど、今からレナとの接触場所を探すのは、時間がかかりすぎる。アスカは考えた結果、カフェで常連となることを決めた。行くとすれば、朝の時間帯にテイクアウトせず、カフェで飲む必要がある。テイクアウトの多い時間帯にそうすることで、印象に残るはずだ。
これから、毎朝、カフェに通う為に早起きをしなければならないのかと思うと、憂鬱だったが、仕事の為だ。仕方がない。
それにアスカにはとっておきの方法があった。この方法なら、きっと上手くいく、そうアスカは確信していた。
まずは家に帰って、シンゴに相談しよう。こういう時、作家の夫は誰より頼りになる。
アスカは書類のコピーを一部取ると、灰皿と紅茶の後片付けをてきぱきと済ませて、事務所を後にした。
その日の晩、アスカは腕によりをかけて夕飯を作った。満足そうに微笑む彼女の前には、食事を口にするシンゴの姿がある。
「うん、おいしいよ」
「良かった」
シンゴの言葉にアスカは更に笑顔の皺を深くした。
「仕事は順調?」
「ああ、ちゃんと書けてる。アスカの方はどう?」
シンゴの言葉に待ってましたとばかりに、アスカは書類を差し出した。
「これは?」
「この間から関わってる案件の不倫相手の書類」
シンゴはアスカから書類を受け取ると、まじまじと眺めた。そこにはヒサシの不倫相手であるレナのプロフィールが事細かに書かれていた。
「この人がどうかしたの?」
「この女の子と接触しようと思ってる」
「へぇ……。今回は女の子の方に接触して、別れを促すの?」
「ええ。ターゲットの方は手ごわそうだから。でも、この女の子に接触するのもちょっと難しくて」
「どうして? カフェで働いてるなら、ここの店員になれば簡単じゃない?」
「それがそうもいかないのよ」
シンゴはアスカの言葉に怪訝な顔をした。
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「実は……」
「実は……?」
シンゴの神妙な面持ちにユウキもつられながら、耳を傾ける。
「浮気されたんだ」
「浮気!? シンゴさんが!?」
「しーっ! 声が大きいよ」
周りに誰か他の人間がいるわけではなかったが、シンゴは慌てて、ユウキを制する。
「すみません……。意外だったもので……」
「そんなわけだから、ちょっとね」
「そりゃあ、落ち込みますよ……。でも、どうしてわかったんですか?」
遠慮なく、ユウキはシンゴに質問する。
「尾行してたんだ」
「尾行!?」
「だから、声が大きいって!」
「どうして、そんなことしたんですか?」
「どうしてって、次の小説の題材が妻の仕事と同じだったからだよ」
「それで尾行して、浮気現場を見てしまった、と……」
「そういうこと」
ユウキは数回うんうんと頷くと、シンゴの方を見た。思わず、シンゴは身を引く。
「尾行は今日もするんですか?」
「いや、わからない。妻の仕事の状況次第だからさ」
「そうですか……。あの、一つお願いしたいことがあるんですけど」
ユウキは真剣な顔をして、シンゴを見据えた。
「なんだい?」
シンゴはユウキのただならぬ雰囲気に押されながら、問いかける。ユウキの口から飛び出た言葉はシンゴが予想もしていなかった言葉だった。
「今度、尾行する時は俺も連れていって下さい!」
「えっ」
突然のユウキの申し出にシンゴは面食らった。ユウキの言葉の真意がわからない。
「ダメですか?」
「ダメってわけじゃないけど……。尾行を続けるかどうか迷ってるんだ」
「どうしてですか?」
「何度も妻の浮気現場を見ても、正直へこむだけだからね」
「まぁ、確かに……」
「そういうわけだから、期待しないでいてもらえるとありがたいかな」
「ってことは、尾行する時は声をかけてもらえるってことですか!?」
「あぁ、結構、ハードだけど、それでいいなら」
「ありがとうございます!」
ユウキは満面の笑みで答えた。どうして、そこまでシンゴの尾行に同行したいのかわからなかったが、シンゴはその理由を聞こうともしなかったし、知りたいとも思わなかった。それよりも、一人であの妙なプレッシャーに耐えなくていいんだ、と思うことがシンゴをほっとさせていた。
「おかえり」
シンゴが家に帰ったのは、夕方になってからだった。アスカが笑顔で出迎えてくれたことに驚きを隠せなかった。妻の笑顔を見たのは、いつ振りだろうとさえ思った。
「ただいま」
上手く微笑めないまま、シンゴはアスカに言うと、コートを脱ぎ、手洗いとうがいの為に洗面所へと向かった。うがいをしながら、動揺している気持ちを落ち着かせようとする。けれど、浮気をしている妻を相手に平静に装える程、シンゴは大人でもなかったし、冷静でもなかった。
深呼吸を何度かすると、リビングへと向かう。リビングに入ると、シチューのいい匂いが鼻先をくすぐった。
キッチンに目をやると、珍しく、アスカが料理をしていた。思わず、シンゴは自分の目を疑う。
「私が料理なんてしてるから、びっくりした?」
アスカはシンゴの視線に気が付き、振り向きざまに言った。
「どうしたの……?」
「どうしたのって、あなたが小説の仕事を再開した以上、私も家事をやらなきゃいけないと思ったのよ。幸い、今日は午前中に仕事を片付けてこられたから、夕飯の支度も出来るし」
「そうだったんだ……」
「もうすぐ出来るから、テレビでも観て待ってて」
「うん、ありがとう」
シンゴはもやもやした気持ちを抱えながら、アスカに言われるまま、ソファに腰を下ろした。
「出来たわよ」
アスカに言われて、シンゴは食卓テーブルへとやって来た。テーブルの上にはシチューやサラダなどがバランス良く並べられている。
「久々に作ったから、美味しいかはわからないけど」
アスカは言いながら、席に着いた。
「君の手料理を食べられるなんて、嬉しいな」
シンゴは無理に微笑んだ。内心、アスカは浮気の後ろめたさを払拭する為に料理をしたのではないか、と思っていたけれど、言えるはずもなかった。そんなことを言ったら、尾行をしていたことがバレてしまう。そんなことをする小さな男だと思われるのは嫌だった。
「いただきます」
シンゴは笑顔でそう言うと、食事に手をつけた。
「どう? 美味しい?」
アスカに問われ、シンゴは「すごく美味しいよ」と再び作り笑いをアスカに向けた。
「良かった。シンゴは料理が上手だから、がっかりされたらどうしようって思ってたのよ」
アスカは嬉しそうに言う。ふとシンゴは新婚の頃を思い出した。アスカは結婚した当初、いつだって、こんな風に笑っていたではないか。アスカが笑わなくなってしまったのは、、自分に原因があったのではないか、と思わずにはいられなかった。
「あのさ……」
「何?」
「昨日の夜のことなんだけど……」
「あぁ、やっぱり、怒ってる?」
アスカの言葉に胃の辺りが何かにきゅっと掴まれるような感覚に襲われる。シンゴは浮気の告白を覚悟した。
「仕事が忙しくて、バーでの仕事を終えた後、そのまま事務所で仕事をしてたのよ。どうしても、今日の午前中までに目を通さないといけない書類があって」
「そうだったんだ……」
「ごめんなさい。電話を入れるべきだったわよね」
「あぁ、心配してたんだ」
シンゴは喉元まで出かかった「本当は浮気してたんだろう?」という言葉をぐっと飲み込んだ。アスカが嘘をつき通そうとしているということは、自分との結婚生活を壊したくないということだ、と考えたのだ。結婚生活を壊したくないと思っているということは、浮気は単なる火遊びかもしれないし、間が差しただけかもしれない。少なくとも、浮気相手より自分が優位に立っているのであれば、夫婦関係の修復は可能だと思った。それならば、今は何も言わないのが得策だ。
しかし、それはそれで苦痛が伴うものだということをシンゴは痛感していた。
アスカからの告白は数日が経った今日もなかった。けれど、シンゴは何も言わなかった。いつも通り小説を書き、家事をした。以前より、アスカは家事をしてくれるようになり、随分と楽になったけれど、どこか手放しで喜ぶことが出来ない。それはきっとシンゴの求めているものが、アスカが家事をする、ということではなく、浮気の告白だからだろう。
けれど、シンゴがアスカに浮気のことを問いただすことはなかった。浮気を責めないことが、真実を明らかにしないことが、得策だと思っていた。でも、本当は違う。シンゴはただ事実を突きつけられるのが怖かったのだ。
しかし、その事実から逃げられるわけもなく、シンゴはずっと追われ続けている。アスカに問いただすことが出来ないのなら、相手の男に思い止まるように直談判するのが近道ではないか、とふとシンゴはぼーっとする頭のまま、思いついた。
少々、卑怯な気もしたし、気が引けないと言えば嘘になる。けれど、何もしないで泣き寝入りするのはもっと嫌だった。
アスカは最近のシンゴの様子を見ていて、違和感を覚えていた。それが小説の仕事を始めたことによるストレスからなのであれば、仕方ないと思う。しかし、もしその原因が自分にあるのだとしたら、解決すべきことだとも思っていた。
兎に角、シンゴがどこかよそよそしいのだ。
アスカはバーでグラスを拭きながら、ぼんやりと夫婦について考える。
一緒に住んでいるというだけで、夫婦と呼べるならば、それは今のアスカとシンゴの状態から逸脱することはない。けれど、愛し合って、一緒に暮らしているのが夫婦とするならば、いささか今の二人の関係は違うような気がした。
そもそも、セックスをしなくなって、随分と経つ。シンゴは元々積極的な方ではなかったから、そんなに回数が多いわけではなかった。けれど、全くしなくなるには、まだ早い。
求められなければ、なんだか自分が女であることを忘れてしまいそうだったし、女としてシンゴに認識されていないような気さえした。
そう思ってしまう状況は嫌だけれど、だからと言って、自ら打破しようとしているわけでもなかった。どこか受け身な自分にアスカは溜め息をつく。
心のどこかで、シンゴがどうにかしてくれることを待っているのだ。そのくせ、シンゴがどうにかしてくれることなど、ありはしないと言うこともアスカはよくわかっている。
どうして、結婚してしまったのだろう。
行きつく結論はいつもそこになる。
でも、仕方がない。選んでしまったのは自分なのだ。今更、後悔したって遅い。責任は他の誰でもない、自分にある。
ヒサシを待つこの時間にいつもアスカは自分の恋の相手を間違えたような気分になった。
ふと顔を上げると、ドアが開き、入って来たのはヒサシだった。
思わず、アスカの顔がほころぶ。けれど、続いて入って来た女を見て、アスカの笑みは消えた。
茶色のボブヘアの良く似合う可愛い女だった。年の頃は二十代前半といったところだ。アスカとは数歳しか離れていないというのに、その若さは目を細めたくなるほど、眩しかった。
「いらっしゃいませ」
いつものようにアスカは声をかける。ヒサシは躊躇うことなく、カウンターのいつもの席に座った。続いて、女も腰を下ろす。
「バーボンと、君は?」
「ジントニックで」
アスカの顔を見ることなく、メニューに視線を落としたまま、女は言った。
ヒサシの顔を盗み見る。その顔はいつものヒサシのそれとは違った。
あの女がヒサシの本命――愛人だ。
別れさせ屋の勘がアスカにそう言っていた。
ヒサシが女を連れてくることはいつものことなのに、今日は心がざわざわした。あれが依頼主であるマキコが言っていた女に十中八九間違いないと思った。けれど、事実かどうかはわからない。
どうにかして、女の情報を聞き出さなければ、とアスカは思った。顔を覚えることはアスカにとって、簡単だった。名前さえわかれば、どうにでもなる。その後は素性を押さえて、接触するだけだ。どこかで偶然を装い出会い、浮気相手の女とも親しくなれれば、より一層、別れさせやすくなる。一番いいのは、女に別の男を差し向けることだったが、他の所員は別件で手一杯だった。
ここは自分がやるしかないか、とアスカが納得した時、タイミング良く、マスターが出来上がったドリンクをアスカに手渡した。
「お待たせ致しました」
いつものようにアスカは笑顔を向ける。
「ありがとうございます」
媚びるわけでもなく、自然に女はアスカからドリンクを受け取った。
今までヒサシが連れて来たどの女よりも愛想がいいな、とアスカは思った。お高く留まっているわけでも、自分の美しさに胡坐をかいているわけでもない。そういう素直さにヒサシが惹かれたことは一目瞭然だった。
アスカは自分の心が乱れてしまわないように、仕事に集中する。しかし、やはり、ヒサシと女のやりとりが気になった。それは、仕事ではなく、明らかにアスカの私情から来るものだった。
アスカがちらちらと気にしているのがわかったのだろう。ヒサシがアスカの方に何の前触れもなく、視線を向けた。互いの視線がぶつかり、アスカは気まずさのあまり目を伏せた。これではまるでヒサシに気があります、と言っているようなものだとアスカは罰が悪くなる。
やがて、ヒサシは女を連れて、店を出て行った。アスカはほっと胸を撫で下ろす。あのまま、二人を視界の端に捉え続けることはアスカには耐え難かったのだ。
アスカはテーブルを片付けようとして、あることに気が付いた。徐にヒサシの前にあったコースターに手を伸ばす。
きっと女がお手洗いに立った時に書いたのだろう。コースターには電話番号とヒサシの名前が書いてあった。電話をしてくれ、というメッセージであることは一目瞭然だった。
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