小説「サークル○サークル」01-432. 「結末」

あれから数日が経ったある日、シンゴはいつもの公園のベンチでユウキとのんびりコンビニのパンとおにぎりを思い思いに食べていた。
「不倫、やめさせられたんだって?」
「はい、お陰様で」
「じゃあ、彼女とは付き合えたの?」
「いや、それが……」
ユウキは言いながら、渋い顔をする。
「不倫をやめるのと、俺と付き合うのは、また別の問題みたいで」
「なるほどね」
適当に相槌を打ち、シンゴは身近に自分を思ってくれる相手がいても、その相手を恋愛対象として見られるかは別問題だよな、と思う。
「でも、諦めませんよ。頑張ります。だって、やっと、彼女は――レナはフリーになったんですから」
「頑張って。他の男に取られないようにね」
冗談交じりに言うシンゴはユウキは「脅かさないで下さいよ~」と笑った。
穏やかな昼下がりだ。
つい最近まで、こんがらがっていた糸がこんなにも綺麗にほどけるなんて思いもしなかったな、とシンゴは思っていた。

「あー、おかえり」
シンゴが帰ると、アスカがシンゴを出迎えた。
「随分、早いんだね」
「今日は特にやらなきゃいけないこともなかったから、たまには家事をしっかりやろうかなって思って」
「ありがとう」
「お礼を言われるようなことじゃないわよ。いつもしてもらってるんだから、たまにはこのくらいしないとね」
アスカの言葉にシンゴは微笑み、ソファに座った。
「あのさ、アスカ」
「何?」
「俺のこと、好き?」
「何言ってるのよ、いきなり」
「真面目に聞いてるんだよ」
キッチンにいるアスカの方を見ずに、シンゴは言う。
シンゴからは、アスカの顔は見えない。一体、彼女がどんな顔をしているのだろう、と思いながら、彼女の言葉を静かに待った。
「好きよ」
アスカは穏やかな口調で言った。
その言葉に照れはあったものの、嘘ではないということは、聞いていて、すぐにわかった。
「良かった」
「私にだけ言わせるつもり?」
アスカの言葉にシンゴは面食らいつつも、「好きだよ」と一言返した。
言葉に出さなければ、何も伝わらない。
言葉にしなかったから、アスカとシンゴの間には、溝が出来てしまったし、こじれていってしまったのだ。
アスカとシンゴは微笑み合う。
そこには確かな絆があった。
「ねぇ、あのカフェでお茶しない?」
アスカに腕を引っ張られ、シンゴは「いいよ」と頷いた。
春の陽射しが暖かい休日の午後、アスカとシンゴは表参道でデートを楽しんでいた。
季節の所為だろうか。キラキラと輝くように木々は葉を茂らせ、時折、吹く風は清々しかった。
そんな状況に幸せを感じながら、シンゴはアスカの隣を歩く。すると、不意にアスカが立ち止まった。
「どうしたの?」
呆然と立ちすくむアスカにシンゴは問う。
「あれ、見て」
アスカが指差したその先には、マキコ――そして、全く同じ顔をした女がもう一人歩いていた。
「あの人、依頼者なの。依頼者が二人いる……」
アスカは驚きながら、シンゴを見る。
「双子ってことだろうね」
シンゴは然して驚く様子もなく、冷静に答えた。
「知ってたの?」
シンゴの受け答えにアスカは驚きながら言う。
「いや、知らないよ。前に言ったでしょ? “突拍子もなさすぎる”って」
「ああ」と言って、アスカは前にシンゴがそこまで口にして、別の理由があるんだろう、と言ったことを思い出していた。
「依頼者が本当にアスカたちに気が付いていなかったとして、考えられる可能性は、双子であるという可能性。同時期に妊娠していれば、お腹は大きくたって、なんの不思議もないし、顔が一緒でもおかしくない」
「じゃあ、前の案件で不倫をしていたのも……」
「それはどちらかわからないよ。過去に不倫してたって、幸せな結婚生活を手に入れる人はいるからね。たとえ、相手の家庭を壊していたとしても」
「不倫ねぇ……」
アスカはぼやくように言葉にする。
別れさせ屋の彼女にとって、不倫は身近なものだった。
不倫があるから、アスカの仕事が成り立っていると言っても過言ではない。
きっとアスカも思うところがあるのだろう。
そんなアスカの横顔を見ながら、シンゴは彼女の手をそっと握った。

小説「サークル○サークル」01-431. 「加速」

「それはミステリーだね」
家に帰るなり、アスカは今日のマキコとのやりとりをシンゴに話した。それを聞いたシンゴは首を傾げながら、言った。
「そうなのよ。理解出来ないわ。自分が不倫していることを認めてしまえば、いいだけの話でしょう?」
「認めたくない何かがあるか、はたまた……」
「何よ? 他にも何か理由があるの?」
「いや、そんなことないと思うんだよな……。突拍子もなさすぎる。きっと、何か他の理由があるんだろうね」
「気になる……」
「でも、もう終わった案件なんだし、アスカが気にすることはないよ」
「そうなんだけど……」
アスカは腑に落ちないようだった。
「さーて、そろそろ、寝ようかな」
「仕事はいいの?」
「もう脱稿したから、大丈夫」
シンゴは微笑むと、寝室に消えていった。

シンゴは寝室のベッドに寝転ぶと、ひんやりとしたシーツの感触にどきりとする。
睡魔がゆっくりと身体を侵食するには、まだ時間がかかりそうだな、とシンゴはその冷たさを感じながら思った。

小説「サークル○サークル」01-430. 「加速」

「そうですか。わかりました。きっと一時的なものだと思いますよ」
「だといいんですが……」
「少なくとも、不倫相手の方はもう元に戻ることは望んでいません。むしろ、あなたに申し訳なく思っている、と言っていました」
「……」
マキコが黙ったのを見て、アスカは余計なことを言ってしまったな、と思った。
いくら、不倫相手が奥さんに対して申し訳ないと思ったところで、不倫をしていることには変わりはなく、申し訳なく思うくらいなら、不倫なんてするな、というのが妻の立場からの意見だろう。

全ての話が終わった後、マキコを送り出すと、アスカは大きな溜め息をついた。
アスカに残るのは疑問だ。
マキコはどうしてヒサシに気が付かなかった、なんて言うのだろう。アスカはその場にいた、と話したのだ。それにも関わらず、気が付かなかった、と言うことになんの意味もないはずだ。
アスカは別に弁護士ではない。
アスカにマキコの不倫を知られたからと言って、仮に離婚調停が始まっても何か不都合があるとは思えなかった。

小説「サークル○サークル」01-429. 「加速」

アスカの頭に疑問符が浮かぶ。
自分が浮気をしているのだとしたら、こんなに悲しそうな顔を出来るだろうか? 演技にしては上手すぎる、とアスカはマキコの表情を見ながら思った。
「果たして、そうでしょうか」
アスカはヒサシには他にも女がいることを思い出し、口にする。
レナと別れたことは確かにショックだったかもしれないが、不倫相手は他にもいる。もし仮にレナを失ったことでショックを受けているのだとしたら、それは一時的なものに過ぎない。そのうち、ヒサシはけろっとした顔で、他の女に愛を囁くことだろう。
「他に何かショックを受けるようなことは思いつきません」
マキコはきっぱりと言い放つ。どこまでも自分が浮気をしていることはしらを切り続けるつもりだろうか。
それならそれでまわない、とアスカは思った。
アスカがすべきことは、他人の夫婦間の問題に首を突っ込むことではない。別れさせ屋として依頼された案件を解決することだ。それ以上のことは、自分の領域ではない、とアスカは自分に言い聞かせた。

小説「サークル○サークル」01-428. 「加速」

どうかしたかって……とアスカは思う。私が気が付いていないとでも思っているのか、とアスカは言いたくなったが、それをぐっと堪えて、努めてにこやかに微笑んだ。
「ええ、私もあの日、喫茶店にいたんですよ」
「えっ? そうだったのですか? だったら、声をかけてくださればいいのに……」
「ご主人も一緒だったの、お気付きになられませんでしたか?」
マキコはアスカのその言葉を聞いた瞬間、眉間に皺を寄せた。
「主人と喫茶店で? 全然気が付かなかったですけど……」
その言葉に今度はアスカが眉間に皺を寄せた。
彼女はあの場所に不倫相手といながら、しらを切りとおそうとしているのだろうか?
アスカは次に問うべき事柄を考えながら、紅茶に口をつけた。
「その後、ご主人とはいかがですか?」
アスカは意気消沈して、去って行ったヒサシのことを思い出して訊いた。
「最近、元気がありません。きっと、不倫相手と別れたことが堪えているんだと思います」
マキコは悲しそうに俯きながら言った。


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