小説「サークル○サークル」01-281~01-290「加速」まとめ読み
- 2013年07月10日
- 小説「サークル○サークル」, 「サークル○サークル」まとめ読み
- サークル○サークル
芸能人は大変だな、とシンゴは思った。一夜限りのお遊びも浮気も、全て電波を使って、全国に流されてしまうのだ。普通だったら、せいぜい、パートナーとその両親くらいにしか責められないのに、見ず知らずの人間にまで叩かれる。有名税と言ってしまえばそれまでだけれど、叩いている人間がその芸能人を応援していたとは考えにくい。そうなると、叩かれ損だ。
自分とアスカの場合はどうだろう……とシンゴは思った。
果たして、アスカを責めるだろうか。責めるだけの熱量を自分が持っているとは、シンゴには到底思えなかった。事実確認をして、腹が立っていることを冷静に伝え、その後、離婚の手続きについて話をするだろう。
浮気相手の男は一流企業に勤めているようだし、慰謝料請求をしてもしっかり払ってもらえそうだな、とそこまで考えて、苦笑する。
自分が欲しいのはお金なんかじゃないはずだ。シンゴだって、真面目に仕事をすれば、食べていけないわけではない。僅かばかりの印税だって、数か月に一度振り込まれている。
ただ相手の男がなんのペナルティもなしに生活を続けていくことが我慢ならなかったのだ。復讐と言っても過言ではない。そういった気持ちがシンゴの中に沸々と芽生え始めていた。
電気ケトルが湯を沸かし終えたことを知らせると、シンゴはドリップコーヒーを淹れる。全てのお湯がマグカップに落ちると、マグカップを持って、再び、ソファに腰を下ろした。
ワイドショーはまだゴシップを流している。
表示されている時間に目を遣り、シンゴはケータイを取り出した。
ユウキのアドレスに待ち合わせ時間を送ると、コーヒーに口をつけた。
程よい苦さを伴って、コーヒーはシンゴの喉をゆっくりと流れていく。
今日が勝負だ、とシンゴは思った。
今日、動かぬ証拠を捕まえて、アスカに話をするつもりだった。そうして、このもやもやした日々にピリオドを打とうと考えていた。
いつかはアスカが帰って来てくれる。そう思ってはいたけれど、今日のアスカの涙を浮かべたあの言葉で、揺らいでいたシンゴの気持ちは確かなものへとなってしまった。
壊れたものは二度と元には戻らない。
そうシンゴは確信していた。
もっと時間はゆっくり流れるものだと思っていた。けれど、夜はあっという間にやって来て、シンゴは今、ユウキとともにアスカの後をつけていた。
「こんなことして、本当に大丈夫なんですか……?」
あれだけ尾行する時は一緒にさせてくれと言っていたユウキだったが、いざその時が訪れると、どうやら落ちつかないようだった。
「バレなければね。まぁ、あまりオススメは出来ないけど」
「俺がもし尾行する時、シンゴさん、ついてきてくれませんか?」
「仕事が修羅場じゃなければ……。一応、考えておくよ」
シンゴはそれきり黙った。そんなシンゴを見て、ユウキの緊張感は更に高まる。
アスカは駅ビルの入口でレナを待っているようだった。
辺りをキョロキョロしたり、ケータイを気にしたりしいている
シンゴは腕時計を見た。腕時計は十九時の数分前だった。きっとアスカはレナと十九時に待ち合わせをしているのだろう。
「あ、来たみたいです」
ユウキの声にシンゴは顔を上げた。
アスカが前方を見て、ケータイをしまっている姿が見えた。
「えっ……」
突然、ユウキが緊張感のある声を出した。驚いて、シンゴはユウキを見る。その顔色はひどく悪かった。
「どうかしたの?」
心配そうにシンゴがユウキを見ると、彼の顔はみるみるうちに白さを増した。
「シンゴさん……こんなことってあるんですね」
シンゴはユウキの言っている意味がわからず、眉間に皺を寄せた。
「奥さんの待ち合わせ相手、俺の言ってた女の子です……」
シンゴは一瞬のうちに目の前が真っ暗になる。これはまずい、と思った。アスカが会っているレナはターゲットの不倫相手であり、そのターゲットとアスカは不倫している。そこにレナのことを想うユウキがいるのだ。ユウキの頭に血が上ってしまえば、修羅場になることは間違いない。勿論、その時点でシンゴがアスカを尾行していたこともバレるだろう。レナにだって、アスカの正体はバレてしまって、泥沼の展開が待ち構えていることは容易に想像出来た。
ユウキを連れて来たのは間違いだったな、とシンゴは内心毒づいた。けれど、こうなってしまっては、後の祭りだ。
シンゴは気持ちを入れ替えて、ユウキの肩にぽんっと手を置いた。
「今日は付き合わない方がいいと思うよ」
「いえ、付き合います!」
「僕は一人で大丈夫だし、好きな女の子を尾行するなんて良くないだろう。もし、彼女の不倫相手が出て来たら、どうするんだ? 感情的になって、彼女たちの前に出て行ったら、関係がぐちゃぐちゃになるだけだろう」
シンゴは暗に帰れと言っているのだが、ユウキにはその本意は届かなかったようだ。
「いえ、俺なら大丈夫です。冷静に対処しますから!」
ユウキは自信を持ってそう言った。シンゴは「でも……」と言いかけてやめた。ユウキの目があまりに真剣そのものだったからだ。
「わかった。くれぐれも無茶なことはしないようにね」
「はい!」
「どうやら、移動するみたいだね」
シンゴは動き出したアスカとレナの尾行を始めた。
「今日は行きつけの和食屋さんなんてどうかなって思うんだけど、そこでいいかしら?」
「はい! 最近、和食好きなんで、嬉しいです!」
レナは笑顔でアスカの質問に答える。こんなにも素直な笑顔を向けるレナを見ていると、ヒサシのことが許せない気持ちになるから不思議だ。明らかに良心のある大人のすることではないな、とヒサシの行動を思った。
不倫は男女ともに非がある。けれど、レナはまだ若く、恋に恋する年頃だ。そんな女の子相手に大人がちょっかいを出していいわけがないのだ。
今日、レナにヒサシとの別れを決意させる。それがアスカのやるべきことだった。依頼の期限を考えても、今日は絶対に失敗が出来ない。アスカは歩きながら、話の持って行き方をもう一度反芻していた。
「あの……アスカさん」
「何?」
「いえ……何でもないです」
レナは何かを言おうとしてやめた。アスカは気になったが、敢えて、深くは訊かなかった。話す必要があることなら、レナが自分で話すだろう。
「仕事はどう?」
アスカは当たり障りのない話題を振る。
「はい。いつも通りです。仕事してる時は仕事のことだけ考えてられるからいいなって」
レナはそう言って苦笑する。アスカといろいろ話をしていくうちに不倫をしているということの苦痛が次第に増しているようだった。
「そう……」
アスカは相槌を打ちながら、角を曲がる。そこにアスカの行きつけの和食屋があった。
「ここよ」
店に入るアスカの後をレナがついていく。店員の「いらっしゃいませ」という落ち着いた声で二人は出迎えられた。
注文した料理がいくつかテーブルに到着し、二人は食事に箸をつけていた。会話は世間話が中心で不倫の核心にはまだ及んでいない。
グラスの飲み物が半分くらいなくなったところで、もうそろそろいいか、と思い、アスカは切り出した。
「さっき言ってた仕事に打ち込んで考えないのが楽……っていうのだけど……。それって、もう恋が終わりに近づいてるってことじゃないかしら」
アスカの言葉にレナの表情が一瞬曇った。
レナは黙ったまま、じっとアスカを見ている。言葉を探している素振りもなかった。ただアスカの言っていることが正しいとその目は言っていた。
「違った?」
アスカは正しいということがわかっていながら、レナに問う。何を考えているのか、レナの口から聞きたかったのだ。
「……終わりに近づいているんだと思います」
レナは小さな声で言った。
アスカはやっぱりわかっているのね、と思ったけれど、それは口には出さなかった。
アスカがレナと接触するようになってわかったのは、レナは賢いということだった。
大抵、不倫をしている場合、我を忘れている場合が多い。その為、客観的に自分や相手を見ることが出来なくなってしまっているのだ。けれど。レナは違った。感情で動いているように見えて、その実、至極冷静に現状を把握していた。
だからこそ、アスカはレナのことが少し不憫でならなかった。冷静さを保っているということは、罪悪感もしっかり感じているということだからだ。
「どうするの?」
アスカは静かに聞いた。
「それは……」
レナは口を開きかけて、言葉に詰まる。
アスカはレナが続きを話し始めるまで何も言う気はなかった。グラスのビールを飲みながら、レナの言葉を待つ。けれど、レナは一向にそれ以上言葉を続ける素振りはなかった。気が付けば、アスカのグラスは空になっていた。
途中、店員がオーダーを取りに来て、まもなく、二杯目のビールが来た。アスカは新しいビールに口をつけて、レナを見る。レナは俯いて、悩んでいるようだった。
「それは……」
アスカはまた同じ言葉を繰り返した。何を戸惑っているのだろう、とアスカは不思議に思う。もしかしたら、助け舟を待っているのではないかと思い、アスカは口を開いた。
「決めてないの? それとも、決めてるけど、言うのが怖い?」
アスカの言葉にレナははっと顔を上げる。
「口に出してしまったら、その通りになってしまいそうで」
レナのその言葉を聞いて、アスカはレナが不倫をやめるのだということを悟った。
シンゴとユウキはアスカとレナに気付かれないように、少し離れた席に座った。格子状の衝立のおかげで、顔を見られる確率は随分と減ったように感じられた。
「開始早々、なんだか深刻そうな雰囲気だね」
シンゴはアスカの目が仕事モードになっているのを見て、溜め息混じりに言う。
「レナは今にも泣き出しそうですね……」
ユウキはレナがアスカに詰問されているのではないかと、心配そうに言った。
「あの……今更なんですけど、訊いてもいいですか?」
「何?」
ユウキは神妙な面持ちでシンゴを見る。
「シンゴさんの奥さんは別れさせ屋で、ターゲットの男と浮気してるんじゃ……って話でしたよね。レナが奥さんと一緒にいるってことは、奥さんが別れさせようとしている男とレナが不倫している、ということですよね……?」
「ああ、その通りだよ」
シンゴは短く答えて、ソフトドリンクに口をつけた。視線はアスカを捉えたままだ。
「ていうことは、レナが不倫している相手と奥さんが浮気している相手は同じ……」
ユウキはひとつひとつの真実を確かめるように言った。
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