小説「サークル○サークル」01-291. 「加速」

「……それがどうかした?」
シンゴは視線を遠くにいるアスカから動かさずに言う。
「いえ、シンゴさんの敵と俺の敵は一緒なんだなって思って」
敵? シンゴはその言葉に違和感を覚えた。
確かにアスカが浮気をしていることは許せるようなことじゃない。けれど、相手の男を敵だと思ったことはなかった。浮気をしている妻を責めたい衝動に駆られることはあっても、相手の男に対して、憎悪に似た感情もなければ、責め立てたいとも全く思わなかった。
理由は自分でもよくわからない。ただアスカに裏切られた、という事実がシンゴをひどく傷つけていた。
「シンゴさん……?」
黙りこくるシンゴにユウキは不安そうな表情を見せる。
「ああ、ごめん。つい考えごとを」
「そうですよね……。今から、浮気相手に会おうっていうんですから、平常心でいられないですよね……」
「それは君も同じじゃないのか?」
「ええ、だからこそ、シンゴさんの気持ちがわかるんです」
ユウキは苦悩に満ちた顔で俯いた。

小説「サークル○サークル」01-290. 「加速」

シンゴとユウキはアスカとレナに気付かれないように、少し離れた席に座った。格子状の衝立のおかげで、顔を見られる確率は随分と減ったように感じられた。
「開始早々、なんだか深刻そうな雰囲気だね」
シンゴはアスカの目が仕事モードになっているのを見て、溜め息混じりに言う。
「レナは今にも泣き出しそうですね……」
ユウキはレナがアスカに詰問されているのではないかと、心配そうに言った。
「あの……今更なんですけど、訊いてもいいですか?」
「何?」
ユウキは神妙な面持ちでシンゴを見る。
「シンゴさんの奥さんは別れさせ屋で、ターゲットの男と浮気してるんじゃ……って話でしたよね。レナが奥さんと一緒にいるってことは、奥さんが別れさせようとしている男とレナが不倫している、ということですよね……?」
「ああ、その通りだよ」
シンゴは短く答えて、ソフトドリンクに口をつけた。視線はアスカを捉えたままだ。
「ていうことは、レナが不倫している相手と奥さんが浮気している相手は同じ……」
ユウキはひとつひとつの真実を確かめるように言った。

小説「サークル○サークル」01-289. 「加速」

「どうするの?」
アスカは静かに聞いた。
「それは……」
レナは口を開きかけて、言葉に詰まる。
アスカはレナが続きを話し始めるまで何も言う気はなかった。グラスのビールを飲みながら、レナの言葉を待つ。けれど、レナは一向にそれ以上言葉を続ける素振りはなかった。気が付けば、アスカのグラスは空になっていた。
途中、店員がオーダーを取りに来て、まもなく、二杯目のビールが来た。アスカは新しいビールに口をつけて、レナを見る。レナは俯いて、悩んでいるようだった。
「それは……」
アスカはまた同じ言葉を繰り返した。何を戸惑っているのだろう、とアスカは不思議に思う。もしかしたら、助け舟を待っているのではないかと思い、アスカは口を開いた。
「決めてないの? それとも、決めてるけど、言うのが怖い?」
アスカの言葉にレナははっと顔を上げる。
「口に出してしまったら、その通りになってしまいそうで」
レナのその言葉を聞いて、アスカはレナが不倫をやめるのだということを悟った。

小説「サークル○サークル」01-288. 「加速」

レナは黙ったまま、じっとアスカを見ている。言葉を探している素振りもなかった。ただアスカの言っていることが正しいとその目は言っていた。
「違った?」
アスカは正しいということがわかっていながら、レナに問う。何を考えているのか、レナの口から聞きたかったのだ。
「……終わりに近づいているんだと思います」
レナは小さな声で言った。
アスカはやっぱりわかっているのね、と思ったけれど、それは口には出さなかった。
アスカがレナと接触するようになってわかったのは、レナは賢いということだった。
大抵、不倫をしている場合、我を忘れている場合が多い。その為、客観的に自分や相手を見ることが出来なくなってしまっているのだ。けれど。レナは違った。感情で動いているように見えて、その実、至極冷静に現状を把握していた。
だからこそ、アスカはレナのことが少し不憫でならなかった。冷静さを保っているということは、罪悪感もしっかり感じているということだからだ。

小説「サークル○サークル」01-287. 「加速」

「仕事はどう?」
アスカは当たり障りのない話題を振る。
「はい。いつも通りです。仕事してる時は仕事のことだけ考えてられるからいいなって」
レナはそう言って苦笑する。アスカといろいろ話をしていくうちに不倫をしているということの苦痛が次第に増しているようだった。
「そう……」
アスカは相槌を打ちながら、角を曲がる。そこにアスカの行きつけの和食屋があった。
「ここよ」
店に入るアスカの後をレナがついていく。店員の「いらっしゃいませ」という落ち着いた声で二人は出迎えられた。

注文した料理がいくつかテーブルに到着し、二人は食事に箸をつけていた。会話は世間話が中心で不倫の核心にはまだ及んでいない。
グラスの飲み物が半分くらいなくなったところで、もうそろそろいいか、と思い、アスカは切り出した。
「さっき言ってた仕事に打ち込んで考えないのが楽……っていうのだけど……。それって、もう恋が終わりに近づいてるってことじゃないかしら」
アスカの言葉にレナの表情が一瞬曇った。


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