小説「サークル○サークル」01-41~01-46.「作戦」 01-47~01-50.「動揺」まとめ読み

「あなたみたいな人がここで働いているのが不思議でね」
「どうしてです?」
 アスカはそっと胸を撫で下ろしながら訊いた。
「頭の回転もいいし、受け答えもいい。ここで働くには実に惜しい」
「……そんなこと」
 アスカの返事に彼女が気分を害したのだと思ったのか、ヒサシは「失礼」と言って、苦笑した。
「決して、接客業を軽んじているわけではないですよ。ただ接客業というよりは、営業向きだって思ったんだ」
「そんなこと考えてもみなかったわ」
「自分の適性を正確に把握している人間は少ないからね」
「転職する際の参考にさせていただきます」
 アスカはヒサシに笑顔で言った。ヒサシが何か言いかけた時、別の客に呼ばれてアスカはヒサシに背を向けた。
ヒサシは口を噤み、視線をアスカからそらした。じっと彼女を見ていることがなんだか急に気恥ずかしくなったのだ。自分でもどうしてそんな風に感じたのかわからず、ヒサシは眉間に皺を寄せた。
アスカはヒサシの方に向き直ると、「それでは、失礼します」と言って、別の客の元へ行ってしまった。

 ヒサシはジントニックの入ったグラスに口をつけて、彼女の後ろ姿を目で追った。
 然して、美人というわけではないが、気になる女だな、とふと思って、ヒサシはまた苦笑した。最近の自分の行動に少し笑ってしまったのだ。軽率な行動、などと言ったら、声をかけている女に失礼だと思う反面、その言葉が一番しっくりくるような気がしていた。女なら誰でもいいのか、と時々自問してしまうくらい、最近のヒサシは手当たり次第、いいなと思った女に声をかけていた。勿論、仕事に支障が出ないような女にしか声はかけない。会社に押しかけてきたり、浮気をネタにゆすってきたりする女は避けたかった。自分に本気になる女は、妻と愛人の2人もいれば十分だと考えていた。本気――そこまで考えて、ヒサシは深く溜め息をついた。2人を同時に愛することは出来ても、2人の本気を同時に受け止めることに、最近いささか疲れ気味であることは違いなかった。そんな疲れから手当たり次第に声をかけているのかもしれない、と思ったところで、ヒサシは考えるのをやめた。いくら考えたって、今の彼には答えなどわからなかったからだ。
 ヒサシは徐に携帯電話をポケットから取り出した。着信もなければ、メールの受信もない。溜め息をついて、再びポケットに携帯電話をしまった。
 その後、彼がいくら待っても、待ち人は来なかった。

 アスカはベッドの上で大きく伸びをすると、隣でまだ寝ているシンゴに目をやった。静かに寝息を立て、丸まるように眠っている自分の夫を見て、溜め息をつく。
 昔はこんな姿を見るだけで、嬉しくなったものだ。隣に自分の愛する人が寝ている、という事実だけでどうしてあんなにも嬉しかったのか、今の自分には到底理解することなど出来ない。あの頃の気持ちと今の気持ちの落差にアスカはもう一度溜め息をついた。
 彼女はベッドから出て、ひんやりとしたフローリングに足をつけた時、ふと昨日のヒサシのことを思い出した。選ばれた言葉、眼鏡のブリッジを押し上げるキレイな指、スマートな振る舞い、どれをとっても、胸をときめかせるには十分だった。今、自分の隣で寝息を立てている男とは雲泥の差だ。
 アスカはまた出そうになった溜め息を奥歯で噛み殺した。

 今日はバーでの仕事は休みだったので、アスカは事務所の椅子に座り、いつものように机の上に足を乗っけながら、書類に目を通していた。左手には書類、右手には煙草を持ち、白い煙を事務所に充満させている。
「別件は上手くいってるみたいねー……」
 煙草を灰皿に置き、紅茶の入ったカップに持ち替えると、アスカは紅茶を一口すすった。書類を机に置こうとした時、突然事務所のドアがノックされた。

 アスカは慌てて、机から足を下ろす。あともう少しで灰皿を蹴飛ばすところだったが、掠る程度で済んだのを見て、安堵の溜め息をついた。そして、自分の溜め息の多さに1人苦笑する。
「どうぞ」
 アスカはドアに向かって言った。ドアは遠慮がちに開くと、ひんやりとした風を一緒に運んできた。ドアの向こう側にいる人物に目を凝らす。そこには髪を丁寧に巻き、お腹が隠れるようなふんわりとしたワンピースを着たカイソウ マキコが立っていた。
「お久しぶりです。どうしました? 取り敢えず、こちらにどうぞ」
 突然のマキコの訪問にアスカは驚きつつも、平然とマキコを中に招き入れた。
「すみません……。突然、押しかけてしまって……」
 マキコは申し訳なさそうに言った。彼女がどうしてここに来たのかの検討はつく。きっとヒサシと不倫相手の現状を聞きに来たのだろう。アスカは「大丈夫ですよ」と営業スマイルを向けた。
「今、お茶を淹れますから、かけてお待ち下さい」
 アスカは言いながら、キッチンへと消える。
「いえ、お構いなく」
 マキコは一応遠慮したが、それが建前であることをアスカも知っている。アスカはポットを用意すると、マキコの身体を気遣って、ノンカフェインの紅茶を選んだ。

 しばらくすると、アスカはクッキーと一緒に紅茶をマキコの前へと置いた。
「今日はどのようなご用件でしょうか」
 予想はついていたが、アスカは取り敢えず訊いた。
「主人のことなんですが……」
 マキコは口を開き、申し訳なさそうに言った。
「もう別れさせなくても結構です」
 きっぱりと言い放ったマキコの言葉にアスカは自分の耳を疑った。
「今、なんて……?」
 我ながらマヌケな返答だと思ったが、それ以外に適当な言葉も思いつかなかった。
「ですから、主人と不倫相手を別れさせなくて、結構だと言ったんです」
 マキコは表情一つ変えることなく、もう一度はっきりと言った。
「どうしてですか? こちらの対応に何か不満でも?」
「そういうわけではありません……。ただ別れさせたところで、主人が私のところに戻ってくるとは、とても思えなくて」
 マキコは俯いて、紅茶を見つめると、そっと手を伸ばして、カップに口をつけた。
 沈黙が落ちる。
 アスカはマキコの言葉の真意を探るのに精一杯だった。

 アスカが黙っていると、マキコは静かに言った。
「勿論、今までかかった費用は全てお支払させていただきます」
 当たり前だ、と頭の中では思ったが、アスカはそれ以上に妙な引っ掛かりを覚えていた。パートをして貯めたお金を全額はたいてでも、旦那と不倫相手を別れさせようとしていたマキコが、突然自分の元に旦那が戻ってこない気がする、というぼんやりとした理由だけで依頼を断ってくるなんて到底思えなかった。理由があるとすれば、もっと別の理由だ。アスカは思考を巡らすが、一向にその理由を思いつけないまま、時間だけが過ぎて行った。
「ご主人が不倫をやめたら、あなたのところに戻ってくる、と思えない事情でも?」
 アスカは仕方なく、疑問をそのまま口にした。マキコは眉間に皺を寄せたが、小さな声で「いいえ」と答え、その後に「女の勘、みたいなものです」と付け加えた。
 アスカは腑に落ちなかったが、依頼主からそう言われれば、無理に引き留めるわけにもいかない。かかった金額を算出して、また連絡すると伝え、今日のところは帰ってもらうことにした。
「お邪魔しました」
 マキコは深々と頭を下げると、エミリーポエムを後にした。階段を降りる度、くるくると巻かれたマキコの髪が揺れるのを見ながら、アスカは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 マキコが来てから、1週間が経った。けれど、アスカは今日もバーにいる。店内の薄暗さも静かに流れるBGMも何もかもがいつもと同じだった。アスカはオーダーされたドリンクやフードを運びながら、空いた時間でグラスを拭く。オーダーが落ち着いたおかげで、漸く3つ目のグラスに手を伸ばすことが出来た。
 マキコに調査をやめていいと言われてから、アスカはバーでの仕事をどうするか悩んだ。しかし、働き始めて数日で唐突に辞められるわけなどなかったし、何より調査の停止がマキコの一時の気の迷いの可能性であることも否めなかった。そうなると、しばらくの間はバーで働かざるを得ない、というのが彼女の出した結論だった。
 相変わらず、ヒサシは毎回違う女を連れてバーにやって来た。今日、連れてきた女は黒髪のストレートヘアが印象的なエキゾチック美人だった。毎日毎日違う女を連れてくる、そんな光景を見ていたアスカは大学の食堂の日替わりメニューをなんとなく思い出していた。それくらい、見事な日替わり振りだったのだ。
 勿論、代金を支払うのはヒサシだ。決して、毎日の出費として、財布に優しい金額ではなかったが、当の本人は涼しい顔をして支払いを済ませて帰っていく。一体、どれだけ稼いでいるんだろう、とアスカはそんなヒサシを見送りながら少し羨ましくなった。

 ヒサシの振る舞いは女から見れば魅力的だ。女が男に欲する色気も十分とは言えなかったが、若い女を虜にするのに必要な分は持っている。だからと言って、不倫というリスクを犯してまで付き合いたいと思えるほど、イイ男かと訊かれれば、アスカはノーだという気もしていた。不倫はリスクが高すぎる。不倫していたことが相手の奥さんにバレれば、慰謝料だって請求されるのだ。そんなスリリングな恋愛を好んでしたいとは、いくら旦那に不満のあるアスカでもやはり思えなかった。
 けれど、ヒサシと付き合っている不倫相手たちにはそんなことは関係ないのだろう。それくらい、ヒサシに入れあげているのだとしたら、一体何が理由なのか。アスカは首を捻った。そして、一つの結論に辿り着く。そうか、テクニシャンなのか、と。そこまで考えてアスカは一人苦笑する。自分がそんな下世話なことを考えてしまったことに、急に気恥ずかしさと居た堪れなさを感じたのだ。いくら自分が最近ご無沙汰だからと言って、そんなことを想像してしまうなんて、とも思った。でも……とアスカは思う。そう考えるのが、一番しっくり来るのも事実だった。

 ただバーに飲みに来て終わり、なんて子供じみた関係のはずがない。むしろ、ヒサシは大人の関係を望んでいるに違いない。第一、マキコは今妊娠中なのだ。妊娠中にセックスが出来ないわけではなかったが、ある程度落ち着いてからしかすることは出来ないし、身体のことを考えたら、マキコは嫌がるかもしれない。そう考えると、辻褄が合うような気がしていた。
ヒサシがいつも連れてくる女が違うのは、違う女で楽しんでいるのか、それともアスカの想像したこととは真逆のこと――つまり、テクニック不足で同じ女を二度抱けないか、のどちらかだろう。
 そこまで考えて、アスカはふとマキコの依頼内容を思い出した。「主人とその不倫相手を別れさせたいんです!」とマキコは言っていた。不倫相手、と断定するからには、一度だけの関係ではないということだろう。そうなると、その女だけはヒサシにハマったということになる。よっぽどの場合を除いて、何人もの女に愛想を尽かされるような男に女がハマる確率は低い。そうなると、テクニック不足ではない、ということになり、やはり最初にアスカが立てた仮説が有力だということになる。ただその場合、どうして1人を除いて、一度きりなのか、ということが腑に落ちない。
 アスカはグラスを拭きながら、止まることのない思考を巡らせ続けていた。

 翌日、アスカは久々に早い時間に帰宅していた。バーのバイトは休みだった。アスカのいつもより早い帰宅にシンゴは驚きながらも嬉しそうに彼女を出迎えた。
「お疲れ様。もうお風呂沸いてるよ」
 笑顔で言うシンゴに対し、アスカはそっけなく「お風呂入って来る」と言って、脱いだコートをシンゴに預けると、バスルームへと向かった。シンゴはアスカのコートを受け取ると、彼女の遠くなる後ろ姿を黙って見送る。バスルームのドアの奥へとアスカの姿が消えた瞬間、シンゴの口からは溜め息が漏れた。
 擦れ違いが重さを増していくことにシンゴはなす術もなく、立ち尽くす。ふいに過去の記憶が頭を過った。お世辞にも楽しい記憶とは言い難い。出来れば、今思い出すのは避けたい記憶だ。
 シンゴはアスカと結婚する前、結婚していたことがあった。勿論、アスカと出会った頃は独身だったし、倫理に反するような付き合いはしていない。そもそも、不倫なんて度胸のいることをシンゴが出来るわけなどなかった。シンゴはまた自分が離婚へと向かっているような気がして、仕方がない。前の離婚の時もこんな感じの前兆があったな、とどこか他人事のように思い出していた。

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【Hayami】「サークル○サークル」56話配信☆


こんにちは☆

Hayamiです。

本日、「サークル○サークル」56話が配信されました。

早く春になんないかなー、というのが最近の口癖です。

寒いのはあまり得意ではありません。

まぁ、暑いのに比べりゃマシなのですが。

だって、脱ぐのには限界があるけど、

着るのには脱ぐよりやりようがあるじゃないですか!

ホッカイロという優れものもあるし。

そんなわけで、まだマシな寒さですが、

やっぱり、適温でのほほーんと生活したいよね!

ってことで、早急に春になっていただきたいのです。

そしたら、ニーハイを穿くのです!

この際、アラサーだということには目をつぶりましょう。

ちなみに購入したニーハイはこちらからご覧いただけます↓
http://ameblo.jp/fakestory/day-20120218.html

 

さて、番外編「ドライフルーツ・シンキング~マンゴーな過去に~」はもう読んでい

ただけたでしょうか?

作家のシンゴの視点で語られるアスカとのなれ初めや、

シンゴが考えていることを物書きとして描いている、というお話です。

全10回となっておりますので、ぜひこちらも併せてご覧下さい☆

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次回、57話もよろしくお願い致します

小説「サークル○サークル」01-56. 「動揺」

「成り立つんじゃない?」
 アスカはムール貝を口に運びながら言った。いつも思うことだが、やはりこの味を好きになれない。それでも、なぜか毎回チャレンジしてしまう自分に半ば呆れていた。
「じゃあ、君は友情関係の成立した男友達を持っているんだね?」
 言われて、アスカはしばし考え込む。何人か男友達の顔が浮かんだが、果たして、本当にそこには友情しかなく、恋愛感情は皆無だと言い切れるのだろうか。強く迫られたら、恋に落ちてしまいそうな友達が二人いることに気が付いた。けれど、それ以外は全員恋愛対象外だ。しかし、相手の男友達に自分に対する恋愛感情が皆無だと言い切れるだろうか。心の中のことは、本人にしかわからない。
「そうね。だいたいは、成り立つんじゃないかしら」
「ということは、成り立たない関係性でありながら、友達関係を続けている、ということだね」
「そういうことになるわね。そういうシンゴはどうなのよ」
「僕? 僕は成り立たないと思っているよ。だから、女性と二人きりで食事を行くなんて、浅はかな真似はしない。編集担当者は別だけどね」
 シンゴの言葉にアスカは黙るしかなかった。


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