小説「サークル○サークル」01-301~01-310「加速」まとめ読み

アスカはバーのドアを開ける。ドアベルが静かに鳴った。
バーに一歩足を踏み入れた瞬間、懐かしさが込み上げてくる。薄暗い店内の中、アスカはヒサシを探した。
入口付近から、店内を見回して、アスカはカウンターに見慣れた後ろ姿を見つけた。隣には誰もいない。幸い、ヒサシは一人のようだった。
アスカは高鳴る胸を抑えつつ、ヒールの音を小さく響かせながら、背後からヒサシへと近付く。気配を感じ取ったのか、ヒサシが振り向いた。
「……」
ヒサシは息を飲む。まさか、という顔をして、アスカを見上げた。
「お久しぶりです」
アスカは言った。戸惑いもあったけれど、微かに微笑んで見せる。
「ああ、これは驚いた」
口では「驚いた」と言いながらも、ヒサシは余裕の表情でアスカを見た。
「隣、いいかしら?」
アスカは少しドキドキしながら言う。
「勿論。どうぞ」
ヒサシはにこやかに席を勧めた。
アスカが席につくと、女の子がお通しを運んできた。アスカは受け取ると、モスコミュールを注文する。アスカが辞めた後、別のバイトの女の子が入ったらしい。
モスコミュールが運ばれてくるまで、アスカもヒサシも無言だった。

しばらくして、モスコミュールが運ばれてくると、アスカとヒサシは軽く乾杯をする。グラスとグラスがぶつかる小気味よい音は、店内の騒がしい音にかき消されてしまった。
「こんな偶然があるとはね。それとも、偶然を装った必然?」
アスカはさすがに鋭いな、と思った。ヒサシはアスカがやって来たことを偶然だなんて思ってはいない。わざわざ、自分に会いに来たと思っているのだ。
それはヒサシ自身の自信から来るものなのか、はたまた、アスカの正体を見破ってのことなのかはわからない。どちらにせよ、アスカは心して接しなければならないと思った。
「ご想像にお任せするわ」
アスカは一口モスコミュールを飲んで言った。
「今日は女の子と一緒じゃないの?」
「ああ、いつも一緒っていうわけじゃないよ」
「あら、てっきり、いつも一緒なのかと」
「一人で来ていたことがあるのも、知っているだろう?」
「それは約束をすっぽかされたからじゃなくて?」
「はは、手厳しいなぁ」
ヒサシは楽しそうに笑った。

「君がここに来たということは、何か俺に用があるんじゃないの?」
ヒサシは平然と言った。無駄な話はしたくないようだ。
「察しがいいわね」
「それなりにね」
「コートをそろそろ返してもらおうと思って」
ヒサシははっとする。
「私がお酒をこぼして、汚してしまったコートは、クリーニングして、もう渡してあるでしょう? だけど、あの時、私があなたの女性に貸したコートはまだ返してもらえていないの。別のコートはあるけど、あれお気に入りだったのよね」
「ああ、それはすまなかった。早急に返してもらうようにするよ」
「そうしてもらえると嬉しいわ」
「用件はそれだけ?」
「ええ。他に何かあるかしら?」
「やっと俺の誘いに乗ってくれる気になったのかと」
ヒサシの言葉をアスカは思わず鼻で笑う。
「そうね。少し前の私なら、あなたの誘いに乗ったかも」
「本当かなぁ。君は一度だって、俺の誘いには乗ってくれなかった」
「そうね。その必要がないと思ったからじゃないかしら」
アスカは残りのモスコミュールを一気に飲み干すと、席を立った。

アスカが「チェックを――」と言いかけたのをヒサシが制する。
「今日は俺がご馳走するよ」
「それじゃあ、遠慮なく」
アスカはそう言って、立ち上がる。
「そうそう、コートはバーのマスターに預けてもらえればいいから」
「ああ、わかった。一週間後には受け取ってもらえるようにしておくよ」
「よろしくね」
アスカはにっこり微笑むと、ヒサシに背を向け、歩き出した。
ドアに向かって歩くアスカのヒールの音が雑音に消えていく。
アスカはドアの取っ手に手をかけた。

シンゴは少し離れた席でアスカとヒサシの会話を全て聞いていた。
“君は一度だって、俺の誘いには乗ってくれなかった”とヒサシはアスカに向かって言っていた。ということは、以前、シンゴが尾行し、ヒサシと一緒にラブホテルに消えていったのは、アスカではないということになる。だったら、あれは一体誰だったのだろう。シンゴは数分のうちにいろんな可能性を探った。そして、アスカの“コートをそろそろ返してもらおうと思って”という言葉で真相に気が付いた。シンゴがアスカだと思っていたあの女性は、アスカのコートを着た別の誰かだったということだ。

シンゴはずっとアスカがヒサシと浮気をしていると思っていた。だから、何度も尾行をしたし、悩みもした。けれど、アスカは浮気などしていなかったのだ。
一時期、アスカの様子は少しおかしかった。きっとヒサシに恋をしていたのは確かだろう。だが、彼女はあと一歩のところで踏みとどまっていたのだ。ヒサシは言っていたではないか。“やっと俺の誘いに乗ってくれる気になったのかと”と――。
アスカはヒサシに誘われていながらも、ヒサシの誘いは乗らなかったということだ。アスカはシンゴを裏切ってなどいなかった。その事実にシンゴは安堵し、それと同時に罪悪感を覚えずにはいられなかった。
シンゴは頼んだドリンクを半分も飲んでいなかったけれど、立ち上がった。家に帰らねば、と思ったのだ。

シンゴが家に着くと、アスカがシャワーを浴びているところだった。
アスカと顔を合わせたら、一体、どんな顔をしたらいいのだろう、と思った。良い案は浮かばない。速く打つ鼓動にシンゴはさまざまな思いを巡らせた。

「あれ? 帰ってたの?」
しばらくすると、アスカがバスタオルで髪を拭きながら、リビングへとやって来た。
「うん、ただいま」
「あら、シンゴも飲んで来たのね」
「たまにはね」
「私も久々にいっぱい飲んじゃった。シンゴもお風呂入ってきたら?」
「ああ」
シンゴはアスカからの質問に簡単な相槌を打つことしか出来なかった。
取り敢えず、熱いシャワーを浴びて、考えようと思った。

「ねぇ、飲み直さない?」
シャワーを浴びて、リビングにやって来たシンゴにアスカは言った。
「明日、仕事なんじゃないの?」
「いいわよ、休むから」
「そんな……所長がそれでいいの?」
「いいの。むしろ、所長だからいいのよ。たまには休まなきゃ」
「それなら、付き合うよ」
「そうこなくっちゃ!」
アスカは嬉しそうに言うと、冷蔵庫からキンキンに冷えたビールを二本取り出した。
アスカはグラスにビールを注ぐと、ソファに座っているシンゴに手渡す。
「結構、飲んできたみたいだけど、飲んで大丈夫なの?」
シンゴは心配そうにアスカに訊いた。

「平気よ。まだ飲み足りないんだもの」
「それならいいんだけど」
アスカとシンゴはグラスを傾けて乾杯する。グラスの中に入っている泡が大きく揺れた。
一口ビールを飲むと、アスカは溜め息とは異なる息を大きく吐いた。
「今日ね、レナと会って来たの」
「どうだった?」
「不倫をやめさせる方向で決着したわ」
「良かったじゃない」
全部近くで見ていたよ、とはさすがに言えず、シンゴは初めて知るような素振りを見せる。
「だけど、まだ安心は出来ないわ。あの子がホントに別れ話を切り出すか、切り出したとして、ターゲットに丸め込まれないか……」
「まだ心配な点はあるってことだね。でも、仕事の半分以上はすでに終わったってところかな?」
「そうね。もしこれでダメだったら、ターゲットに再接触して、ターゲットを私が落とすって方向に切り替えるしかないわ」
「そうならないように祈ってるよ」
「ありがとう」
アスカとシンゴはその後、他愛ない会話を続けた。そして、その会話の最中にアスカの言った「飲んでないとやっていられないのよ」という言葉にシンゴは言いしれぬ不安を感じていた。

シンゴが起きた頃には、アスカはすでに仕事に行っていた。壁に掛かっている時計はすでに十一時を指している。朝ご飯を食べるには遅すぎて、昼ご飯を食べるには早すぎる。
取り敢えず、顔を洗い、冷蔵庫から牛乳を取り出すと、なみなみとコップに注いだ。
シンゴはコップを持ったまま、ソファに座ると、テレビをつけた。
昼のワイドショーが始まったところだった。テレビでは相変わらず、芸能人のゴシップが取り上げられている。芸能人というだけで、好奇の目にさらされるというのは、可哀想だな、と思う同時に、有名税にしては高すぎるだろう、とも思う。のんきにそんなことを思いながら、シンゴは牛乳を飲み、ぼんやりと昨日のアスカとの会話を思い出していた。
アスカは上機嫌でありながら、どこか冷静でもあった。まだ喜ぶには早い、というのが長年この仕事をしてきたアスカの感想なのだろう。
けれど、シンゴにとっては、半分くらいはどうでもいいことだった。
シンゴにとっては、アスカの仕事の成功よりも、アスカが浮気をしているか、していないかの方が重要だったし、興味のあることだった。

アスカは浮気をしていなかったのだ。それだけで随分シンゴの気持ちは救われた。これでアスカとシンゴの離婚はないということだ。離婚しなければいけないと思っていた理由はシンゴの勘違いだったのだ。
今ここでアスカを失うのは避けたかったし、最悪のシナリオは免れたのだと思うと嬉しかった。
けれど、手放しで喜べないという気持ちもあった。
アスカが言った通り、レナがターゲットに丸め込まれたら、アスカがターゲットを落としにかからなければならないのだ。そうなれば、疑似恋愛をすることになる。アスカは仕事とは言え、ターゲットは本気になるだろう。ともすれば、アスカだって、なびいてしまうかもしれない。
シンゴはどこまでも自分に自信がないのだということに溜め息をつきたくなった。
冴えない自分。特にこれといって、男として誇れることがないということに、落胆はしても、開き直ることなど到底出来なかった。もし開き直れれば、どんなに楽だろうか、とも思っていた。
シンゴはテレビの電源をリモコンで切ると、飲み終えたコップをシンクに置く。水道の蛇口をひねり、置いたコップに水を注いだ。牛乳は時間が経つと、白く残って、落ちにくくなる。そのまま、洗ってしまえば良いのだが、なんだか今は洗い物をする気にはなれなかった。
冷蔵庫にあったアイスコーヒーを別のグラスに注ぐと、それを持って書斎へと向かう。
書斎の電気を点け、椅子にどっかりと腰を下ろすと、パソコンの電源を入れた。パソコンを立ち上げている最中、シンゴは自分の書くべきことを頭の中で整理する。
小説を書くにあたって、難しいことは何もない。自分の経験したこと、見たことを言葉に置き換えれば済む話だ。勿論、そこには自分のフィルターを通した感情やモノの見方などが反映される。実話を元にはしているけれど、実話だけをたらたらと書き綴ったところで小説にはならない。そこにはいくつかのエッセンスが必要だった。
シンゴは立ち上がったパソコンから書き途中のデータを開くと、キーを打ち始めた。
もうすぐ小説が書き終わる。
アスカの仕事がここで終われば、の話だけれど。

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【Hayami】暑い!!


こんにちは☆

Hayamiです。

暑いですね。

こんな暑い日はお家に引きこもってお仕事に限ります。

こんな時に外に遊びに行くなんて……!というのが正直な感想です(笑)

外出される皆様は熱中症にお気を付け下さいね!

≪お知らせ≫

個人ブログ「Hayami’s FaKe SToRy」にて、

お仕事依頼・作品感想用メールアドレスを設置しております☆

アドレスはhayami1109@gmail.comです。

作品の感想等送っていただけますと幸いです。

メールは直接私のところまで届きます☆
≪番外編のお知らせ≫

番外編「ドライフルーツ・シンキング~マンゴーな過去に~」はもう読んでいただけたで
しょうか?

作家のシンゴの視点で語られるアスカとのなれ初めや、

シンゴが考えていることを物書きとして描いている、というお話です。

全10回となっておりますので、ぜひこちらも併せてご覧下さい☆

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次回もよろしくお願い致します☆

小説「サークル○サークル」01-321. 「加速」

 乾杯した後、冷たいグラスになみなみ注がれたビールを二人は一気に喉に流し込む。外の寒さを思うと、飲みたいなんて思わなかったのに、店内の暖かさに触れるとこんなにも美味しいものか、と思い、二口三口と続いた。
「今日は何を話したくて、電話をくれたの?」
 アスカはビールを半分くらい飲み干すと訊いた。
「実は彼とこの間、話をしたんです」
「へぇ……。彼はなんて?」
「取り合ってくれませんでした」
「えっ……」
「君が突然そんなことを言い出すなんて、おかしい。誰かに何か言われたの? って言われて……」
 さすがヒサシだ。レナの行動理由のほとんどはお見通しなのだろう。
「それであなたはなんて答えたの?」
「……何も言えませんでした。否定も肯定も出来なかったんです」
 だから、ヒサシはきっと確信したのだろう。レナの後ろに誰かがいる、と。そして、それがアスカであるということにも気が付いた。アスカの名刺を何かのタイミングで見て、彼の中での点が全て線で繋がったに違いない。

小説「サークル○サークル」01-320. 「加速」

「ユウキ……」
 レナは目を大きく見開いて、ぽつりとつぶやいた。
「知り合い?」
「はい……。幼馴染で……」
 しかし、その様子は明らかにただの幼馴染という感じではなかった。アスカはレナとユウキの顔を交互に見る。二人とも言葉を発しない。
 視線を先に反らしたのは、レナの方だった。
「ごめんなさい。座りましょう」
 レナに言われて、アスカは黙ったまま、頷くと席に着いた。
「いいの? 挨拶しなくて」
 アスカに言われて、レナは左右に頭を振った。
「いいんです。関係ありませんから」
「……」
 関係ないと言うわりには、随分動揺していたように見えたけれど、アスカは敢えて、その話題には触れなかった。
 レナの幼馴染とは少し離れた席に着いた為、こちらの会話が聞こえることはないだろう。けれど、やはり、レナは視線が気になるようで、たまに幼馴染の方をちらちらと見ていた。
 アスカとレナは思い思いに注文をして、シェアすることにした。料理が運ばれてくる前に飲み物がすぐに運ばれて来た。二人の注文したのは、ビールだった。

小説「サークル○サークル」01-319. 「加速」

 中華レストランに向かう途中、レナといろんな話をしたけれど、アスカは上の空でろくに話を聞いていなかった。きちんと会話が成立していたのか、ふと気になる。
「ここ……ですか?」
 思わず通り過ぎそうになったアスカの腕を取り、レナは言った。
「う、うん。そう。ここよ」
「ふふっ、アスカさんがぼーっとしてるなんて珍しいですね」
「そうね……。最近、仕事が忙しいからかな」
「お仕事のしすぎはダメですよー? 体調崩しちゃったら、元も子もないですから」
 レナは笑顔でアスカを見る。この屈託のない笑顔を見ていると、アスカはレナは何も気が付いていないのだ、と思った。もし何もかも知っていて、こんな笑顔を向けられているのだとしたら、レナのしたたかさは大したものだ。不倫だって、納得がいく。けれど、レナはきっとそんな子じゃない、とアスカは思いたかった。
 中華レストランの重いドアを開けると、赤を基調とした店内が見えた。すぐさま、ウェイターがやって来て、人数と喫煙の有無を訊いた。アスカの返答を聞くと、ウェイターは歩き出す。アスカとレナもそれに続いた。
 アスカとレナが通されたのは、比較的静かな奥の席だった。席に着こうとした瞬間、視線を感じて、アスカは立ち止まる。すると、一人の男がこちらをじっと見据えていた。


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