小説「サークル○サークル」01-341. 「加速」

「じゃあ、レナさんがあなたの元から去るのは別に問題ないんじゃない?」
「それとこれとは話が別だ」
一体、どう別なんだろう、とアスカは思ったが、何も言わず、ヒサシの話の続きを聞くことにした。
「レナは若くて可愛い。そばに置いておきたいと思うのは自然な気持ちだと思う。彼女が俺よりも好きな人が出来たとか、俺にほとほと愛想が尽きたというのなら、引き留めはしないけど、別れさせ屋の君にそそのかされて、別れたいというのは、“はい、そうですか”とは言えないね」
「そそのかすだなんて、人聞きの悪い。私の仕事よ」
「失礼。でも、俺の気持ちはそういうことさ。彼女が自分で考え、決めたことならいつだって歓迎するよ」
「あのくらいの年頃は、周りに流されやすいのよ。でも、彼女の今回の判断は懸命だと思うわ」
「それは君からしたら、だろ?」
「ええ、女の私からしたらね」
「性別で来たか」
ヒサシは溜め息をつき、酒を煽ると、マスターにもう一杯同じものを注文した。注文したドリンクが運ばれてくるのを見計らって、アスカが口を開いた。

小説「サークル○サークル」01-340. 「加速」

「本当に選ぶべきはレナさんだったと?」
「いや、違う」
「最低」
「最低なことは、俺をずっと見てた君なら、とっくに気が付いていると思ってたけど」
「そうね。気が付いてたわ。でも、言わずにはいられない程、最低だと思ったのよ」
「そう思われても仕方ないだろうね。さっきも言っただろう? 付き合っているのは四人いるって」
「ええ」
「君がコートを汚してしまったあの女性がしいて言えば、本命ってところかな」
「彼女は自分以外に三人いることは知っているの?」
「知るわけないだろう? 知ってたら、付き合うわけがない。男は浮気する生き物だからなんてカッコつけて、浮気は平気なんて言う女は沢山いるが、心の底から許している女なんていやしないんだよ」
「そして、不倫をしている女は自分が一番愛されている、と思い込む」
「その通り。奥さんよりも愛されている、と勘違いしている。でも、まぁ、俺の場合は、少なくとも妻よりは愛してるけどね」
ヒサシの言っていることは、きっと多くの男の本音なのだろう。けれど、本音だからと言って、正しいと認めることは出来ない。ただこんなにストレートに言われてしまっては、否定のしようがなかった。
彼は嘘をついているわけではないのだ。事実を述べているだけなのだ。

小説「サークル○サークル」01-339. 「加速」

一体、マキコはなんでそんな嘘をついたんだろう……。
アスカはつい考え込みそうになるけれど、目の前にヒサシがいるので、心に留めるだけにした。
「お子さんがいれば、また少しは環境が変わってたんじゃないかしら?」
「そうだと信じたいね。でも、子どもがいなくて、少しほっとしているんだ」
「どうして?」
「だって、子どもがいたら、離婚を躊躇うだろう? 周りにも離婚を考えている奴らは何人もいるけど、結局、子どものことがネックになって出来ないでいるんだ。子どもは可愛いとか、養育費を払うのが難しいとかね」
「そもそも、離婚しないような相手を選べば良かったんじゃないの?」
アスカは仕事を忘れて、思ったことを口にする。言ってから、しまった、と思った。
「あははは。君の言う通りだよ。相手を選んだのは自分だからね。全ての責任は俺にある。でも、人間は間違うものだろう? 俺はうっかり間違えてしまったんだよ」
ヒサシは自嘲するように言った。

小説「サークル○サークル」01-338. 「加速」

「どうして?」
アスカは間髪入れずに問う。
「他の男とこうやって、接触するような仕事に奥さんに就いてほしいと思う男なんていないよ。ただ……辞めさせたりしたら、自分の器の小ささを露呈してしまうから、辞めさせたりしないんだよ。男なんて、ほとんど虚栄心で出来てる」
「その意見を否定はしないけど……。あなたの理屈から言ったら、私の夫は我慢してることになるわね」
「でも、全ての男がそういう考え方なわけじゃない。心の広い男だっているさ」
「そうね……」と言って、アスカはシンゴの本心はどうなのだろうと思った。今まで一度だって、きちんと自分の仕事について、シンゴに意見を求めたことはない。それだけ、シンゴの気持ちを考えてこなかったということのような気がした。
「そう言えば、お子さんはいないの?」
アスカはヒサシの妻であるマキコが妊娠中であることを知っていたものの、そ知らぬ顔で訊く。
「いないよ。ここ、一年くらい関係も持ってないから、出来ることもない」
ヒサシの言葉にアスカは自分の耳を疑った。
――子どもが出来ることもない……?
アスカは心の中がざわつくのを感じていた。

小説「サークル○サークル」01-337. 「加速」

「あら、いつ私が独身だなんて言ったかしら?」
アスカの言葉にヒサシは大袈裟に驚いてみせる。
「冗談だろう?」
「冗談なんかじゃないわ。既婚者よ」
「まさかなぁ。俺の目も随分悪くなったらしい」
「どういう意味よ」
「俺が相手にするのは、独身の女だけって決めてるんだ。今まで、一度だって、既婚者の女を口説いたことなんてなかったんだよ」
「てことは、あのお誘いは本気だったってこと?」
「そうなるね」
ヒサシは悪びれることもなく、あっさりと認めた。
「でも、そんな仕事をしていて、既婚者とはね……。旦那は怒らない?」
「そんな小さな男と結婚なんてしないわよ」
アスカは特に考えることもなく、口をついて出た言葉に驚いていた。
そうだ、シンゴの大らかで、懐の深いところにアスカは惹かれたのだ。すっかり忘れてしまっていたことに思わず戸惑う
「それは良く出来た旦那だね」
「あなただったら、別れさせ屋なんて辞めさせる?」
「そうだなぁ……。辞めさせはしないだろうけど、快くは思わないだろうね」


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