小説「サークル○サークル」01-412. 「加速」

ヒサシの言っていることはよくわかる。けれど、都合の良い言葉のようにアスカには感じられた。
一体、レナは何を思っているのだろう。気にはなるけれど、今、聞くことは出来ない。もどかしさを抱えながら、アスカはヒサシとユウキのやりとりを待った。
ユウキをちらりと見遣れば、何を言おうか思案しているようだった。明らかに歩はヒサシにある。ヒサシは大人の余裕と持ち前の頭の回転の速さでユウキをじわじわと追い詰めている。きっと、ヒサシはもっと簡単にユウキを追い詰めることが出来るだろう。けれど、敢えて、それをしないのは、ヒサシの優しさなのかもしれない。
問題はレナがどういった結論を出すか、ということだ。
二人の会話をレナがどんな風に受け取るのかによって、レナが導き出す答えは異なってくるだろう。ヒサシと本当に別れたいのであれば、ユウキの言っていることに賛同すればいいのは明白だ。けれど、ヒサシの話の内容に心を打たれれば、別れるという選択自体をひっくり返さないとも限らない。

小説「サークル○サークル」01-411. 「加速」

「恋愛とは楽しいばかりではありません。不安や嫉妬を覚えるからこそ、その後の二人の関係が深まるのでしょう? 負の感情なしに愛情は深まりませんよ」
一見、ヒサシの言っていることは正論で良い言葉のように聞こえる。しかし、ヒサシの立場を考えると、その言葉の薄っぺらさにアスカは吹き出しそうだった。
“負の感情なしに愛情は深まらない”とよく言えたものだな、と思う。
不倫をしてしまえるような薄っぺらい愛情しか妻に向けられないヒサシが言ったところで、その言葉に全く重みはなかった。
人は自分の立場を忘れて、言葉を選んでしまう時がある。それを目の当たりにすると、滑稽なのだということがよくわかった。
「だからと言って、わざわざ、最初から不安や嫉妬を抱えなければならない不倫を選ぶ必要性はないはずです。幸せになれる可能性が低いんですから」
「何を持って、幸せとするかによりますよ。最初から決めつけることなんて出来ないはずです。好きな人と一緒にいられる幸せの前では、他の不幸せは霞んで見えるかもしれません」
ヒサシはそこで区切るとコーヒーを口にした。

小説「サークル○サークル」01-410. 「加速」

もしかしたら、ヒサシはわざと“レナが誰を好きか”ということをユウキに言わせるように仕向けているのかもしれない。ユウキが傷つき、動揺するのを狙っていることも十分考えられる。ヒサシは策士だ。頭が切れる。アスカはユウキが暴走しないことをただただ祈るばかりだった。
「だとしたら、問題ないのではないでしょうか? 好きな人と一緒にいたい、その想いを叶えられるんですよ?」
「それが不倫という形でなければ良いことだと思います。幸せなことでしょう。けれど、不倫であれば、一緒にいることで幸せだったとしても、別の感情も一緒に沸くとは思いませんか?」
「別の感情とは?」
「罪悪感や悲しみ、嫉妬……様々な不安を誘因する感情です」
ユウキの言葉をヒサシはふっと鼻で笑った。なぜ鼻で笑われたのか、ユウキはわからないようで眉間に皺を寄せる。
「失礼。それは、恋愛をしていたら、どんな人でも持つ感情ではありませんか?」
「……」
ヒサシの言うことはもっともだ。思わず、ユウキは言葉を失った。

小説「サークル○サークル」01-409. 「加速」

「仮にレナが不幸せだったとしましょう。では、どうして、不倫を続けたと思いますか?」
「それは……」
ヒサシの言葉に今度はユウキが黙る番だった。
レナは俯いたまま、二人の話を聞いている。
自分の所為でいがみ合わなくてはいい二人がいがみ合っているのだ。そんな光景を見るのは、心苦しいだろうし、今にも逃げ出したい気分だろう。
そう思いながら、アスカはレナを見つめていた。
こんな若さで、こんな思いをする必要性は彼女にはなかったはずだ。ただ一つ、不倫という道に足を踏み入れさえしなければ、良かっただけの話なのだ。
けれど、彼女は踏み入れてしまった。それは自業自得だけれど、なんだかちょっぴり可哀想にも思う。きっと彼女が以前口にしていたヒサシの奥さんへの謝罪の言葉の所為だろう。。
「それは……」
ユウキはしばし考えた後、言葉を選びながら口を開く。
「それは、あなたのことが好きだからではないでしょうか」
ユウキにとって、レナがヒサシのことを好きだと認めるような発言はしたくなかったに違いない。

小説「サークル○サークル」01-408. 「加速」

アスカはレナの様子が気になって、ちらりと彼女に視線をやった。
レナは俯いている。何も言葉を発しないのは、ユウキの言っていることが正しいからなのか、間違っているからなのかはわからない。ただ一つ言えることは、彼女にとって、今、この空間は居心地が悪いであろう、ということだった。
アスカも敢えて、ヒサシとユウキの会話に口を挟まない。
彼ら二人で気の済むまで話をすればいいのだ。心にモヤモヤが残ったままでは、お互いの為に良くない。モヤモヤした気持ちはいずれ心に滞留し続け、歪んだ方向に爆発する可能性だってある。後腐れないのが一番良い。その為には言いたいことを言わせる必要があった。
沈黙したまま、誰も言葉を発しない。
ユウキは言いたいことを言ったし、ヒサシはなんて言葉を返せばいいのか思案しているようだった。
ヒサシはきっとレナに事実を確認したいだろう。けれど、ここでレナに幸せだと言われたところで、レナに無理やり言わせている感は拭えない。


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