寝ているアスカを放っておいて、シンゴはコンビニへと向かった。朝食に食べるパンを切らしていたことを思い出したのだ。
適当に服を選び、パジャマから着替えると、シンゴはそっと部屋を出た。
コンビニ行き、ベーコンマヨネーズパンとメロンパン、チョコクリームパンをレジに持っていくと、さっきまで店内にいなかったユウキが立っていた。
「いらっしゃいませ。こんな時間に珍しいですね」
「君こそ、こんな時間に珍しいね」
「早番のヤツが風邪引いちゃったらしくて、代わりに俺が」
「なるほどね」
「お会計は三六〇円です」
シンゴはポケットに入れておいた財布を取り出し、支払を済ませる。
「あれから、どうなの?」
シンゴは後ろに人が並んでいないことを確認してから、ユウキの目を見て言った。
「レナのことですか?」とユウキは言った後、シンゴが頷いたを確認して、「あのまま進展なしですよ」と苦笑した。
「そうか……。でも、きっといい方向に向かうと思うよ」
シンゴはそう言って、店を後にした。
翌日、シンゴはひどい頭痛で目が覚めた。喉もひどく乾く。吐き気がしないだけマシだな、と思いながら、アスカを見ると、アスカはぐっすりと眠っていた。
シンゴはキッチンへミネラルウォーターを取りに行くと、ソファに腰を下ろして、ペットボトルに入ったミネラルウォーターに口をつけた。
冷たい水が身体の隅々にまで渡っていく。半分くらい飲み終えたところで、飲むのをやめると、大きな溜め息をついた。
頭痛薬を棚から取り出すと、残りの水を使って飲んだ。そして、再び、寝室に戻る。
アスカは小さい寝息を立てていた。
シンゴは音を立てないように布団に入ると、アスカに背を向ける。
男女の呼吸のリズムは違うから、一緒に寝るのは効率的ではないと何かの本で読んだことがあった。けれど、こうして、隣で眠ることがシンゴにとっては良いことのように思えた。
一人で眠るより、良質な睡眠は取れないかもしれない。それでも、どんなに微妙な関係性になっても、別れずに済む最善の方法に感じられたのだ。
「君の仕事はいい仕事だと思うよ」
シンゴは静かに言った。アスカは空になったワイングラスから、シンゴへと視線を移す。その表情は複雑さをたたえていた。
「いい仕事、か」
アスカはぽつりと言うと、立ち上がり、新しいワインを持ってくる。
「シンゴも飲むでしょう?」
「ああ。アスカが飲むのをやめるまで付き合うよ」
「ありがとう」
アスカは赤らんだ頬を緩ませた。
アスカは新しくワインを開けると、新しく出したグラスに注ぐ。今度はロゼだった。
「珍しいね。アスカがロゼを買うなんて」
「たまにはね」
「何かで気分転換をしたかったんだね」
「そうなのかなぁ」
本当は泣きたいのかもしれない、とシンゴは思ったが、それは言わなかった。泣かせてあげるのも優しさだけれど、泣きたいことに気付かない振りをするのも優しさだからだ。
「乾杯」
シンゴとアスカはどちらからともなく、グラスを合わせる。
「美味しい!」
アスカは嬉しそうに言う。
いつもこんなアスカを見ていたいとシンゴは思った。
アスカが悩んだり、悲しんだりしているのは、やはり見ていて辛い。
そう思った時に、シンゴはどれだけ自分がアスカのことを好きなのかを知った気がした。
作家は自分とは全く別の人物の人生を描く。それはどこかに自分と共通点を持った他の誰かだ。
シンゴが新しく書き上げた小説はアスカをモチーフに書いた。勿論、アスカのことが出てくるのだから、自分のアスカへの想いも十分に反映されている。そして、それがシンゴやアスカの知らない誰かに読まれるのだ。
シンゴは自分の経験を元に小説を書くことに抵抗がなかったわけではない。けれど、書かなければならない、という一種の使命感とも取れる感情に突き動かされて、一気に書き上げた。
自分の根底にある部分を露呈させなければ、小説を書けないことをシンゴは知っている。それが仕事だと思うからするのであって、仕事でなければ隠して生きていただろう。そういったことすらも、厭わないのが作家だ。
仕事と割り切ることが時に必要となる。それは仕事が好きだからかもしれないし、その仕事をこなさなければならないからかもしれない。または、それ以外の理由からかもしれない。いずれにしろ、アスカのように考え過ぎてしまうのは良いことだとは思えなかった。
「セックスレスが原因で浮気を始めたのか、浮気をしていたからセックスレスになったのか、考えれば考えるほど、ドツボにハマるっていうかさ。私は別れさせ屋だし、別にそんなこと考える必要はないんだけど、時々思っちゃうんだよね。私のしてることって正しいのかなぁって。お金をもらって、成立している仕事だし、必要ともされているのはわかっているんだけど、どちらかに有益に働いているだけで、良いとか悪いとかって基準で考えるのだとするならば、もしかしたら、悪い方に加担してしまっている可能性もあるわけでしょう?」
「浮気をする原因を作ったのが依頼者だった場合ってこと?」
「そう。または自分も浮気をしている場合とかね」
「あまり考え過ぎない方がいいんじゃない? 必要とされている、仕事として成立している、それだけじゃ不満?」
「不満っていうか、なんだかもやもやしちゃって」
アスカはそう言って、残っていたワインを一気に飲み干した。アスカの白い首が上下するのを見ながら、シンゴは自分の仕事について考えていた。