小説「サークル○サークル」01-291~01-300「加速」まとめ読み
- 2013年07月10日
- 小説「サークル○サークル」, 「サークル○サークル」まとめ読み
- サークル○サークル
「……それがどうかした?」
シンゴは視線を遠くにいるアスカから動かさずに言う。
「いえ、シンゴさんの敵と俺の敵は一緒なんだなって思って」
敵? シンゴはその言葉に違和感を覚えた。
確かにアスカが浮気をしていることは許せるようなことじゃない。けれど、相手の男を敵だと思ったことはなかった。浮気をしている妻を責めたい衝動に駆られることはあっても、相手の男に対して、憎悪に似た感情もなければ、責め立てたいとも全く思わなかった。
理由は自分でもよくわからない。ただアスカに裏切られた、という事実がシンゴをひどく傷つけていた。
「シンゴさん……?」
黙りこくるシンゴにユウキは不安そうな表情を見せる。
「ああ、ごめん。つい考えごとを」
「そうですよね……。今から、浮気相手に会おうっていうんですから、平常心でいられないですよね……」
「それは君も同じじゃないのか?」
「ええ、だからこそ、シンゴさんの気持ちがわかるんです」
ユウキは苦悩に満ちた顔で俯いた。
ユウキにはああ言ったものの、シンゴは然して動揺も緊張もしていなかった。それは今回会うのが初めてだからではないということと、ある程度の覚悟が出来ているからだろう。アスカとターゲットが浮気をしているのが確かならば、アスカはきっと別れを切り出すだろう、とシンゴは思っていた。その時、如何にさりげなく受け入れるかがシンゴの手腕にかかっていた。男のプライドとも言える。
本当は全てを知っていた。知っていて、知らない振りをし続け、自分のところに戻って来るなら、寛大な心で受け入れ、出て行くというのなら、快く送り出す。シンゴは考えに考え抜いて、これが一番スマートな対応だと思ったのだ。
本心は縋りたい。縋って戻って来てくれるなら、プライドなんて捨てて、縋ってやりたいとも思った。けれど、そんなことをしたって、ますますアスカが離れていくだけだ。それをわかっていたシンゴは、アスカが一番心苦しい方法を取ろうとしているとも言えた。
縋られれば鬱陶しくも思うだろうが、あっさり受け入れられてしまったら、その呆気なさに心は乱されるに違いない。
シンゴにはほんの少しだけそんな打算もあった。
悩み、苦しめばいい――。
ほんの、ほんの少しだけ、そんなことを思っていた。
シンゴは自分の考えの底意地の悪さに苦笑してしまいそうになる。
けれど、結婚という契約をした上で、その契約を破ることが一体どういうことなのか、今一度、アスカには考えて欲しかった。あまりにも無責任すぎる、となじりたい気持ちもあった。
別れてからの恋愛は自由だ。どうせ、恋人を作るなら、自分と別れてからにしてくれればいいのに、とも思った。そう思うものの、アスカはきっと今じゃないとダメなの、と言うのだろう、ということがシンゴには容易に想像がついてもいた。
もし結婚さえしていなければ、今ほど、腹も立たなければショックも受けなかっただろう。結婚さえしていなければ、別れるのは簡単だ。面倒な書類の手続きもいらなければ、財産分与で揉めることもない。
「何、話してるんでしょうね?」
ユウキはアスカとレナをちらちら見ながら言う。レナは俯き、アスカは両肘をテーブルにつけて、レナを心配そうに見ていた。
「核心に触れる話……かな」
「……そうかもしれませんね」
シンゴは早く切り込んだな、と思ったけれど、二人のあの様子を見ていると、核心に触れていると考えるのが妥当だとも思った。
「レナは……別れるんでしょうか……」
ユウキは下を向き、つぶやくように言った。
「別れると思うよ。アスカは別れさせるのが仕事だから」
「でも……俺がいくら言っても、レナは不倫相手と別れなかったんですよ……」
「だから、プロが別れさせようとしているんじゃないか」
「……」
「アスカは何があっても、別れさせるつもりだよ。相手の奥さんのこともあるし」
「そうですよね……。でも……」
ユウキは言いかけてやめた。シンゴは「でも、シンゴさんの奥さんはその不倫相手と浮気してるんですよね?」という言葉が続くとわかっていた。けれど、シンゴはそのことに敢えて触れなかった。
レナはしばらく俯いた後、しっかりと顔を上げた。
「私……別れた方がいいかなって……そう思ってるんです」
レナは泣き出しそうなのを堪えながら、切れ切れに言葉を紡ぐ。
「そう……。よく考えたわね……」
アスカは内心ガッツポーズを取っていたものの、表面的にはレナに同情するような素振りを見せていた。
これでレナがヒサシと切れてくれれば、アスカの仕事は無事終わる。マキコの依頼は完遂出来たことになる。
「アスカさんと話をしていて、元々、自分でも不倫なんて良くないなって思ってたから……。だから、私……やめようかなって……」
アスカはレナの話を静かに聞いていた。
「だけど、私、彼がいなくなってしまったら……って思うと怖くて……」
「わかるわ」
アスカは間髪入れずに言った。レナは少し驚いたようにアスカを見る。
「彼がいなくなってしまうことで、自分が壊れてしまうような、そんな不安……。それから、どんな素敵なことがあっても嬉しいとか幸せだとか思えないんじゃないかっていう不安……。いろんな不安が心の中に渦巻くのよね」
アスカは視線をテーブルの上へと落とした。
「……」
レナはアスカの言葉を聞いて、胸がいっぱいになってしまったのか、涙ぐみながら、その涙を零さないように天井を見上げた。
「だけどね、そういった不安って、不倫をやめようとしているから感じるものかしら?」
「え……?」
「どんな恋愛も終わりに向かっている時はそういった不安を感じるんじゃない? そうした不安に耐えたり、時に飲みこまれたりしながら、それを乗り越えられた時に新しい恋愛をするんだと、私は思うな」
アスカはそこまで言うと、にっこり微笑んで、レナを見た。
レナはまだ少し驚いたような表情でアスカを見ている。その表情はアスカの言ったことを理解することだけで精いっぱいのように見えた。
「だから、あなたが感じている不安は、不倫から来る不安ではないと思うの」
「……確かにアスカさんの言う通りかもしれないですね……」
「きっと大丈夫よ。別れた時は寂しくても、時間が癒してくれるはずだわ」
アスカは月並みなセリフだと思いながらも、それ以上の気の利いた言葉を思いつくことも出来ずに言った。
「時間が解決してくれるなら、私も立ち直れるんでしょうか……」
「ええ、あなたにしっかり覚悟があるなら大丈夫なはずよ」
「私、頑張ってみます。彼に、さよならを……言ってきます」
「彼とちゃんと別れられたら、飲みに行きましょう」
「えっ……」
「新しいスタートを切るんだもの。お祝いが必要だわ」
「アスカさん……」
レナは瞳を潤ませて、アスカを見た。アスカは穏やかに微笑み、レナを見据える。
「彼と別れたら、アスカさんに連絡しますね」
「ええ、連絡待ってるわ」
アスカは通りすがりの店員を呼び止めると、ドリンクを頼み、レナは追加で料理を頼んだ。
さっきまでの胸の閊えが嘘のようにレナは楽しそうにアスカと他愛ない話をし始める。
これからのことをレナはどう考えているのだろうか。アスカは少しの不安と心配を持ちながら、レナを見ていた。
彼女を受け止める誰かがいればいい。けれど、もしいないのだとしたら、自分が受け止める誰かになろう、とアスカは決めていた。仕事でレナと接触しただけなのだから、そんなことをする必要は全くない。しかし、アスカには真っ直ぐなレナを放っておくことなど出来なかった。
「なんだか和気藹々としてますよね……」
「表情がころころ変わって、どんな話をしているのか、どういった結果になっているのか……。確かにわかりづらいね」
シンゴは飲みながら、アスカとレナの様子を見ていた。
きっと話は終わったのだろう、とアスカの顔を見て思う。けれど、ユウキには敢えて何も言わなかった。シンゴにとっては、これからが本番なのだ。時間が過ぎていくに従って、落ち着かない気持ちをユウキに悟られまいとするので精一杯だった。
「この後、レナが奥さんと別れたら、レナの後をつけようと思います」
「不倫相手と会うかもしれないから?」
「はい……。もし会っていたら、止めようと思うんです」
「それはやめた方がいいよ」
「えっ……」
ユウキはシンゴの言葉に驚き、グラスを持とうとした手を止めた。
「どうしてですか?」
「もし、今日、彼女が不倫相手と会ったなら、それは別れ話をする為だからだよ」
「でも……」
「折角の別れ話の機会を自分で潰してしまっていいの?」
「それは……」
「アスカは必ず彼女と不倫相手を別れさせてくれるから、心配はいらないよ」
シンゴの言葉にユウキは驚いていた。
「シンゴさんは、奥さんのことを信用しているんですね」
「信用?」
予想外の言葉にシンゴは鸚鵡返しに問うた。
「だって、そうでしょう? 奥さんが必ずレナと不倫相手を別れさせるなんて……。奥さんを信用していなかったら。言えないことですよ」
「……」
「てっきり、シンゴさんは奥さんを信用していないんだと思ってました。不倫してるって、本当は思っていないんじゃないですか?」
「不倫してないって思ってたら、尾行なんてしないよ」
「不倫していないってことを確かめたいから、尾行しているように俺には見えます」
「……」
ユウキの言葉にシンゴは戸惑った。確かに何度も不倫をしていなければいいな、とは思った。けれど、状況を見れば、不倫をしていると思えることだらけだ。不倫をしていない、と思うのは、現実逃避以外の何ものでもないとシンゴは思う。
「不倫されていなければどれだけいいか……。でも、見ちゃったんだ。アスカが不倫相手とホテルに入って行くところ。今でも忘れられないよ。真っ白なコートの白色が鮮やかだった」
シンゴは嫌な記憶を振り払うようにかぶりを振った。
思いは加速していく。嫌なほど、好きという感情が走って行く。けれど、加速したものはいずれ減速し、やがて止まるように出来ている。同じスピードが続くことは決してない。
アスカは加速していく気持ちに気付いた時、いつか止まってしまう時が来ることを恐れ、そして、安心してもいた。
自分にはシンゴがいる。いつまでも、別の誰かを思い、追いかけようとしていいわけなどなかったのだ。結婚は契約だ。けれど、一番簡単に破棄してしまえるものでもあった。否、簡単に破棄してしまう人は、結婚が一つの契約である、ということをそもそも認識出来ていないのだろう。認識出来ていたとしたら、浮気なんてするはずがないのだ。
アスカはレナと別れると、一路バーへと向かった。以前、バイトをしていたあのバーだ。ヒサシがいるのかどうかはわからない。賭けだった。けれど、行かずにはいられなかったのだ。
電車に乗り、歩きなれた道を歩く。夜の風が冷たかった。アスカはぼんやりと灯る街灯に照らされながら、道を急いだ。その後ろにシンゴの姿があることに、アスカは気が付かない。
それぞれの思いを交錯させながら、二人は夜の道を急いでいた。