(あっ━)
驚いた事に、そのハブは一つの胴体から二つの頭が生えている。いわゆる“双頭の蛇”という代物だったのだ。
「これは……、頭が二つ!?」
「珍しいでしょ? 稀にある奇形でさ。
このハブ酒の製法自体は特別なものじゃないけど、縁起物と見る向きもあって結構な値がしたよ」
確かに希少価値としては抜群だろう。
珍しい酒を持ち寄るという今日の試飲会の趣旨からすると、これは一歩譲らざるを得ない気もする。
しかし、チラリとのぞき見た槇村の表情に、勝者の色はなかった。槇村は槇村で、俺の酒の方が、稀少と思っているのかもしれない。
ここで下手なアピールをしては恥をかく事になりそうだ。引き分け、再戦へと持ち込もう。
「ま、まあ、これは俺が集めた秘蔵の酒のごく一部だけどな」
案の定、槇村は俺の話に乗ってきた。
「ああ、僕も見せたいお酒がまだまだあるよ」
「じゃあ、希少酒という同じテーマでリマッチといくか?」
「OK、そうしよう━」
うまく話をまとめた様で、何の事はない、すべての問題の先送りである。
そして、この日を境に俺達の流浪の旅が始まった。
アスカは今日も事務所に寄った後、バーに来ていた。アルバイトは今も続けている。マキコに調査の停止を求められてからすでに二週間が過ぎていた。時間が過ぎるのはとてつもなく早い。その間、シンゴとは言葉を交わすことが増えたけれど、特に大きな変化はなかった。相変わらず、男として見ることが難しく、ただの同居人と化していた。もしかしたら、彼が仕事に意欲を見せ、彼の収入がアスカの収入を上回ったり、活き活きとした表情を見せるようになれば、少しはこの状況も改善されるのではないか、と思っていたけれど、シンゴにその様子は微塵も見えない。主婦業は完璧だったが、それだけだった。その点、今目の前にいるヒサシは魅力的だった。今日は珍しく一人で飲みに来ている。きっとここで待ち合わせをしているのだろう。少し遅れて、またいつものようにキレイな女の子が来るに違いない。そして、彼はその女の子とホテルへ消えていくのだ。
そんなことを思っている自分にアスカはうんざりした。最近の自分は色恋のことばかり考えている。仕事に精が入っていないようにさえ思えた。
「どうだ? 変わった味だろう?
深い甘みがある半面、成熟過程での酸味もまったく失われていない」
「…………」
「プラティーヌは傷みやすい品種らしく、農薬も受け付けない。
収穫できるようになるまでにはかなりの手間がかかるんだ。そいつをふんだんに使って蒸留した酒だからな。
なかなか手に入らんのよ」
「確かに、面白いな。
鼻に抜けるような芳醇さがあり、それでいて癖が無く飲みやすい……、まあ、うまいよ」
いつもの穏やかな笑みを浮かべたつもりなのだろうが、槇村のそれは口角の筋肉を歪める程度に留まった。
どうやら平素の自信をいささかなりとも傷つけられたようだな。
「それで? お前も酒を出せよ」
俺はここぞとばかりに畳みかける。
自然と声が大きくなっているのが分かった。
応じて槇村が取り出したのは茶色の大瓶━底の部分で何かが“とぐろ”を巻いている。
「おいおい、ハブ酒かよ。
まあ、意外ではあったけど、別段、珍しくはないぜ」
奇を衒うとは槇村らしくもない━今日の勝利を確信し、俺は内心ほくそ笑んだ。
「そのハブをよく見てよ」
そう促され、俺は酒に浸けられた瓶底のハブを凝視した。
品川駅で八天堂の『くりぃむぱん』を購入。超うまぁ~い。
薄皮で、直接クリームを食べている状態。駅の往来のド真ん中ですが、ねぶるに任せて桃源郷へ。紛うことなき幸せがここにある!
傍らの中国人さんが、目を白黒させてました。
うまかろう、うまかろう。虎の威を借りまくって、ドヤ顔を決めてやりました。我ながらなかなかの小物っぷりー。
槇村のマンションは港区白金の一等地にある。
36階建、白亜の殿堂といった趣の、一般庶民の妬みと嫉みが地縛霊を招き寄せそうな佇まいである。有名な酒造メーカーの御曹司ともなれば、その最上階に居座るのも当然と感じられるものなのだろうか。
部屋にあがると、小型のハウンド犬が唸り声をあげて“歓迎”してくれた。
犬の抜け毛が盃に付着する可能性から、酒飲みの風上にも置けぬ奴、と槇村を責め立ててみる事を思いついたが、塵ひとつない室内を確認するに至り胸中に留めた。
既に酒宴の仕度は済ませてあった。俺は槇村に勧められるまま上座へと着く。
「で? 面白い酒ってのはどれ?」
俺が口から出まかせを言った事を見透かしていたのだろう。出せるものなら出してみろ、と切れ長の目が語っている。
「こいつだ━」
俺はこの一週間、東奔西走して入手した(急ごしらえの)自慢の酒を取り出した。
「蒸留酒? シードルかい? 珍しくもないなぁ」
「使われている林檎が特別なんだ。
フランスのブルゴーニュ地方で取れるプラティーヌ━白金と名付けられた希少種さ」
「ふ~ん……」
俺からグラスを受け取り、一口含んだ槇村の顔に驚愕の色が走る。
なかなか心地良い瞬間だ。大学の講義を一週間もさぼった甲斐があったな。